夏の雨、冷めない熱

第二話


 二日目はあいにくの雨だった。
 真夏とはいえ高地のため、朝から冷え込みが激しい。靄のように立ち込める霧雨と、ぬかるんだ地面がそれに拍車をかける。これは昼になっても気温は上がらなさそうだった。
 寝不足気味の目をこする。一日目の昨日、張り切って各ステージを回りまくった上に、夜遅くまで映之に付き合って遊びまわったせいで疲労感が半端ない。その上に、この雨。
「昼まで寝てりゃいーじゃん」
「でも見たいのが……」
「ていうか雨だしずっとここで寝てれば」
「そんなの勿体無いよー」
 チェックを入れたタイムテーブルを見ると、お目当てのアーティストがそろそろ出演しそうな時間になっていた。奏太は気力を振り絞って立ち上がる。
 大自然の中で音楽を聴く、というのは奏太にとって生まれて初めての体験だった。寝転がりながら遠くでライブを見るのも心地良かったし、小さいステージを間近で見るのも新鮮だった。
 だからきっと、雨の中でライブを見るのも新鮮で面白いに違いない。
 と、無理やり前向きに考えて、意を決してテントから外に這い出た。お目当てのライブはもう始まろうとしている。



 夜になっても雨が止むことはなかった。
 それどころかどんどん雨足は強くなり、道は泥でぬかるみ、ところどころ川のように水が流れている始末だ。
 雨ガッパのみの最弱装備だった奏太は、日暮れとともにどんどん下がってくる気温に気力も体力も削がれていき、見たかった本日のトリを諦めることにした。後ろ髪を引かれる思いでメイン会場を後にする。身体が芯から冷え切って、震えが止まらない。
 何か暖かいものを食べようと、フードエリアの行列に並んで豚骨ラーメンを食べた。熱くて濃厚なスープが芯から冷え切った身体に染み渡る。ラーメン好きで色々と食べ歩いている奏太だったが、何の変哲も無い豚骨ラーメンがこれほどおいしいと思ったことは無かった。
 ラーメンの暖かさで少し復活すると、近くの小さい屋根付きのステージでやっているライブが気になってきた。
 本当はこのまま寝てしまいたいくらいくたびれているのだが、ステージから聞こえてくるミニマルなダブステップ系のサウンドに引かれて、フラフラとそちらを覗きに行ってしまう。フェスは日が暮れてからが本番で、ここで寝てしまうのにはあまりに惜しかった。
 すると、近くで見覚えのある姿が目に入った。
「あれっ、映之?」
 目印の明るい髪がフードで隠れてはいるが、確かに映之だった。てっきりメインステージに行っているものだとばかり思っていたので、こんな小さいステージにいるのは意外だった。傍らには前夜祭で会った坊主頭の人と、見知らぬ長髪の男がいた。
「何でこんなとこにいんの?」
「ダブと言えばおれだろ?」
「いや、その理屈よく分かんない」
 ステージの上ではゴツいヘッドフォンを首にかけたDJがラップトップと何台も並べたミキサーを弄っている。ダブステップといえども、どう考えても映之の好みのサウンドではない。おそらく、一緒にいる誰かの好みなのだろう。
「ムジさんがいいっつーから折角来たのに全然よくねーんだけどコレ」
「そんなこと無いよ! カッコイイじゃん!」
 仏頂面の映之に奏太が思わず反論すると、側にいた坊主頭が、うんうんお前よく分かってるな、といった風に頷いた。同意してもらったのは嬉しかったが、やっぱり怖い。
「どこが。眠くなりそーな音」
「その重さがいいんだってば。おれ、ああいう音作りたいなあ」
 そう言うと坊主頭がまた、うんうんと頷いた。強面で近寄りがたいが、実は奏太と好きな音楽の方向性が近いのかもしれない。
「ンなことよりさあ、アンタ寒くねーの?」
 坊主頭の後ろにいた長髪の男が、ずぶ濡れの奏太を見るに見かねて声をかけてきた。雨ガッパの下のTシャツは肌が透けるほど濡れきっていて、足元のサンダルは泥まみれだった。よく考えたらブッ倒れそうなくらい疲れている。
「ていうかお前、ちゃんと雨対策してこいっつったのに……ひでーなその格好」
「だ……、だって、こんなになるなんて知らなかったんだもん」
 さすがの映之も呆れた声を上げる。とりあえず思いついた雨ガッパだけ持ってきたのだが、ここまで過酷だとは思いもしなかった。一方、映之はというと、上下ウィンドブレーカーを着用し、足には長靴のフル装備だった。
「映之ひょっとして……全然濡れてない?」
「当たり前じゃん。全身ゴアテックスだもん」
「ま、まじ!?」
 映之が頭に被っていたジャケットのフードを取ると、ふわっと小さい水滴が舞った。完全に水を弾いている証拠だ。
「むしろここじゃゴアテックスは標準装備だぜ。そんな格好じゃ寒いだろ、早く着替えてあったまんねーと、風邪ひくどころじゃ済まねーぞ」
 傍らにいた長髪男が意外にも優しく忠告してきた。両耳には大量のピアス、両手はクロムハーツの指輪で埋まってるようないかにもイっちゃってる外見の男だが、映之よりは多少思いやりがあるようだ。彼もゴアテックスのポンチョを羽織っていて、よく見てみると周りで奏太レベルの軽装をしている人の方が少ないくらいだった。
「いいからコレ着ろよ。あ、そうだ、熱燗かホットワインでも飲めよ。あったまるぜ」
 そう言って長髪男は着ていたポンチョを奏太にかけてやろうとした。奏太は遠慮して身を引く。
「だ、大丈夫ッス。平気ッス」
「遠慮すんなよ。着ねーと身体どんどん冷えてくっぞ」
「おい、何やってンだよ」
 すると、長髪男が奏太に被せようとしたポンチョを、映之が乱暴に撥ねつけた。
「ウゼーことすんじゃねーよボケ」
「おいおい、おれは親切でやってんの。何がいけねーんだよ」
 二人がギロリと睨み合いをする。明るい色の髪にスラリとした長身の映之と、タッパのある長髪ピアス男の対峙はなかなか派手なものがある。
「このままずぶ濡れじゃカワイソーじゃん。こんな震えちゃってさあ」
「触んじゃねーよ」
 長髪男が奏太の肩に手をかけると、奏太が後ろによろめく勢いで映之がその手を払いのけた。声にいつもの明るさがなく、妙に静かに話すのが余計怒っている ようにみえる。映之と長髪男は元々あまりいい関係ではないようだが、それにしたってちょっと映之の態度は殺気立っている。
「あー お前らうるさい」
 そんな険悪なムードを吹っ飛ばすようにガナリ立てたのは、坊主頭の男。二人の間に割って入って睨みつける。
「こんな所でケンカすんなバカ共」
「ムジさんは関係ねーだろ」
「エーシ、おめーがこいつズブ濡れになるまでほっとくからいけないんだろ。タツも余計なちょっかい出すんじゃねえ」
「ええっ、兄ちゃん~。オレは親切で……」
 予想外の長髪男の情けない声に、奏太はギョッとして振り返った。長髪男と坊主頭、似ても似つかないが実は兄弟らしい。イッちゃってる外見に似合わず兄には逆らえないようで、長髪男は渋々一歩下がった。
「おらエーシ、こいつテントに連れてってやれ。このままじゃブッ倒れるぞ」
 説教モードの坊主頭に映之は不貞腐れた態度で舌打ちをした。
「おめーのジャケットも貸してやれや」
「…………ウーッス」
 ふくれっ面のまま、渋々映之はジャケットを脱いで奏太に投げつけた。坊主頭の人、見かけによらず優しい人なんだな、と奏太は投げつけられたジャケットを羽織る。映之の温もりが残っていて、その暖かさに何だかホッとしてしまった。
「ありがと」
「ゴアテックスのありがたみを噛み締めとけ」
 照れくさそうに映之がそっぽを向く。雨足が、更に強くなってきた。



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