夏の雨、冷めない熱

第一話


 真夏の強烈な日差しも、ここではなぜか心地いい。
 木々の間から吹き抜ける風の匂いが都心とはどこか違う。
 長いドライブから解放された奏太は、車から出るとまず最初に伸びをした。
「おい、荷物下ろすぞー」
 車のトランクを開けながら、映之がまだ少年ぽさが残る顔を上げた。ほとんど色の抜けた金髪が強い日差しに照らされて、眩しい。
「急げよ、テントの場所取りすんだから!」
 重たいテントの骨組みをドサッと渡される。さらにクーラーボックスにバックパックを背負わされると、奏太は案の定ふらふらとよろけた。
「お……、重ーっ!」
「それぐらいヨユーっしょ」
 そう言うと、映之はマットレスとバックパックを担いで走り出した。
「先に場所取りしてくっから、それ持ってこいよ!」
「ま、待ってよー!!」
 映之は駐車場を凄い勢いで駆け抜けると、大量の荷物を抱えふらつく奏太を置き去りに、あっという間に見えなくなってしまったのだった。


 奏太は初めての野外フェスに心躍らせていた。
 そもそも、そんなところに自分が行くもんだとは思ってもみなかった奏太は、映之にフェスに行こうと誘われたとき、それが実現するのかどうか俄には信じられなかった。
 テクノが好きだった奏太は、大学に入ってからもバンドを組んだり音楽サークルに入るわけでもなく、ただ孤独に音楽を楽しんでいた。同じような音楽が好き な友人が欲しいな、とは思っていたが、あえてそのために自ら動こうとはしなかった。自分から積極的に行動するということをほとんどせずに奏太は今まで生き てきたし、それに疑問を持ったこともなかった。
 そんなとき、出会ったのが映之だった。

 授業の帰り、奏太は何気なく寄った大学の近くのレコード屋で、ふと、気になるCDが視聴コーナーにディスプレイされているのが目に入った。
 前から気になっていたアーティストのニューアルバム。
 吸い寄せられるようにそのディスプレイに向かい、視聴機のヘッドフォンを手にかけたそのとき、サッと先にそのヘッドフォンを奪われた。
「えっ」
 まさか横からヘッドフォンを奪われるとは思わず、呆然と立ち尽くしたまま恐る恐る横に目をやると、殆ど色の抜けきった髪の毛が目に入った。見覚えがある。ダメージ加工されたオーバーサイズ気味のパーカーにも見覚えがある。ていうかさっき見たばかりな気がする。
「あー、お前、見たことある」
 そしてヘッドフォンを奪われた上にいきなりこんな風に声をかけられて、奏太は心底ドン引きした。
「さ、さっき同じ授業受けてたと思う……たぶん」
「何その『多分』って。『絶対』っしょ?」
 彼は視聴機のヘッドフォンを手に、悠然と奏太を見下ろした。いや、二人の身長差はさほどない。しかし、奏太は見下ろされている気がしてならなかった。正直、カツアゲでもされるんじゃないかとさえ思った。
 真嶋映之。奏太と同じ法学研究科で、派手な外見と傍若無人で騒々しいキャラのお陰で既に学内では有名人だった。どちらかというとその他大勢の方に属する奏太にとっては、同じ学科であっても全く係わり合いの無い人物で、今まで会話をしたことすらなかった。
「お前こんなん聴くんだ」
 それはこっちのセリフだった。お前そんなキャラじゃないだろ、と勇気のない奏太は言い出せずに心の中で呟いた。
 すると、映之は奪い取ったヘッドフォンを、一人で聴きはじめるのかと思いきや、イヤーパッドをひっくり返して奏太の左耳に当てた。もう片方を自分の右耳に当てる。
 予想外な展開に、奏太は面食らった。彼の身体が物凄く近くて、お互いの肩が触れあう。
 ヘッドフォンから漏れる音を半々で聴いて、曲の良さなんて分かるわけが無かった。
 それどころか奏太は緊張して何が鳴ってるのかすら聞こえなかった。心臓の鼓動ばかりが耳のそばで聞こえる。
「お前、これ、買う?」
 一曲目が終わって、映之が顔を覗き込んできた。彼の大きな目に真っ直ぐ見つめられると、さらに緊張が増した。
「う、うん…………たぶん」
「おっし! じゃあ今度貸して!」
 そう言って弾けるような笑顔を見せると、アルバムを一枚、押し付けられた。
 やっぱりカツアゲなんじゃないかと、奏太はちょっと思った。



 友達が増えることは、音楽の幅が広がることなんだと、奏太は思うようになった。
 お互い好きな音楽が一部被っている程度で、どちらかというと映之はヒップホップやダブとかレゲエが好きなようだったし、奏太は相変わらずテクノばかり聴いていた。当然、奏太が好きなアーティストを映之がバカにしてケンカしそうになったことは何度もある。
 でも、今まで聴こうとも思わなかったジャンルの曲を聴くようになり、聴いてみると意外と悪くないな、などと思うようになる。初めてクラブにも連れて行ってもらって、クラブミュージックにも興味が沸いてきた。
 そこからいきなり野外フェス、というのは、奏太にとってあまりに飛躍しすぎな気がした。
 実は、出演しているアーティストのうち、半分以上は知らないものばかりだった。
 それは映之も同様のようだったが、『野外でライブが見れるのってよくね?』という程度の勢いで行くようだった。
「それって、やっぱ、どっか泊まっていくの?」
「宿とかもうとれねーし。テント持ってくしかねーっしょ」
 映之は、このフェスに行くのは二度目だということだった。他にも誘う人はいくらでもいそうなものなのに、その中で自分を誘ってくれたのが無性に嬉しかった。
 気ままで自分勝手で年上に対して敬語もロクに使えないような映之だが、子供っぽく何にでも好奇心旺盛に首を突っ込むところが、何事にも消極的な奏太には新鮮だった。
「親の車、借りれるの?」
「ダメだって。しゃーねーからレンタルだな。テントは先輩からパクって……」
「ちゃんと借りろよ!」
「ばーか。間に受けんなよ。お前ほんと面白くねーな」
 映之ならやりかねないから怖いのだ。この後もどうやったらタダでフェス会場に潜り込めるかとか、どうせなら外車レンタルしたいとか突っ込みどころ満載で、果たしてちゃんと現地まで辿りつけるのかどうか、奏太は当日まで不安の日々を過ごすのだった。



 主に奏太の努力により、日暮れ前にようやくテントが立てられた。中は意外と広く、エアベッドを敷いたので足場も快適だ。荷物を運び入れると、奏太は思わずテントの中に突っ伏した。
「つ……疲れたー」
「寝んなよソータ、なさけねーな」
「だって映之ズルいよ、おれにばっかペグ打ちやらせてさ」
「おれにはポールを支えるって重要な役目があっただろ」
「たまには交代してくれたって……」
「腹減ったなー」
 ぐちぐち文句を言う奏太の言葉を遮って、映之は元気よく立ち上がった。
「肉食おうぜ、肉!」
「そんな元気ない……」
「オラ行くぞ! 肉!」
 この日はまだ前夜祭。前日乗り込んだのは、そうでもしないとテントの場所が確保できないからだ。夏休みでヒマな大学生には前日入りなど大した問題ではない。
 たくさん屋台が並ぶフードエリアで、映之は脇目もふらず牛串にかぶりついていた。麺類好きの奏太はタイラーメン。食べてみて初めて分かったのだが、どうもパクチーが口に合わないらしい。除けて食べてたら、さっそく映之にバカにされた。でもさっぱりとした塩味でおいしかった。
「あ、ムジさんウーッス!」
 牛串をペロリと平らげた映之が、スマホを片手に手を振る。その先には坊主頭にノースリーブの、ちょっと近寄り難い雰囲気の男性。
「ようエーシ、相変わらずバカそーだな」
 気安そうに映之の頭を小突く坊主頭の男が隣の奏太にチラリと目をやる。ビビった奏太はろくに挨拶もせず、映之の後ろに隠れてしまった。気を利かせるという能力のない映之は坊主頭に奏太を紹介するわけでもなく、奏太は気まずそうに軽く頭を下げるだけだった。
 その後も映之の周りには引っ切り無しに友人が集まってくる。
「えーし、久しぶりじゃーん」
「オメー来るならメールぐらいしろよー」
 映之よりもさらに十倍ぐらいチャラい男、外人連れのバイリンガルの女、異様に長いドレッドヘアーの陰気な青年、いかにもバンドやってます風な暑苦しい革ジャンを着たおっさん……映之の友人関係にはあまり統一性が無い。
「それ、誰?」
「こいつ? 大学の友達」
「大学ぅ? エーシみたいなバカでも大学入れんのかよォー。日本の教育終わっとる」
「むしろ始まってんだろ!」
 裏表が無く人懐っこい映之に友人が多いのは分かる気がした。こんな場所に来る友人などいない奏太は、そんなところにもちょっと引け目を感じてしまう。



 前夜祭は大いに盛り上がった。まだこれから本番があるというのが信じられないくらいだ。
 真夜中まではしゃぎまくるかと思いきや、意外にも映之は早めに切り上げるようだった。
「もう行くの?」
「明日どれ回るかプラン立てなきゃ」
 テントに戻った二人はタイムテーブルを広げた。見たいアーティストの時間が重なっていてどれに行こうか非常に悩ましい。タイムテーブルが蛍光ペンでどんどん埋まっていく。横目で映之のタイムテーブルを見ると、メインステージが全部蛍光ペンで埋まっていた。
「映之って基本めっちゃミーハーだよね」
「うるせーな! そーゆーおめーはどれ見んだよ」
 一応予習はしてきたものの、いざとなるとどれにしようか決められない。何せステージ数が多すぎるのだ。とりあえず、気になるものに蛍光ペンで印をつける。気が付いたらタイムテーブルが蛍光ペンだらけになった。
「奏太って基本めっちゃ優柔不断だよね」
「う……、うるさいなあ」
 ちょっと名前を聞いたことがあるだけのアーティストにもチェックを入れていったら、途方も無い数になってしまった。
「これ全部回んの」
「む……無理かなあ」
 だって高いチケット代払ってるんだから勿体無いじゃん、と心の中で呟く。そんな奏太を見て映之はニッと笑う。
「いいじゃん! 全部回ろーぜ!!」
 無理かどうかはやってみなければ分からない。
 何をするにも消極的だった奏太は、考える前に何事も当たって砕けてみる、という玉砕精神を映之から教わることになる……というよりは身を持って体感するのだった。



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