そんな年末

第二話


 上司との関係を何となくずるずる引きずっていたのは、佳輔の生来の面倒臭がりのせいだ。
 二股は面倒臭いからやらない、という主義だったはずが、いつのまにか上司と崇史との二重生活になってしまい、さすがの佳輔もどうにかケリをつけなければならない状況になっていた。
 年の暮れになると、年末年始休暇のために仕事が鬼のように忙しくなる。仕事人間の佳輔は当然、連夜遅くまで残業の為に職場に残っていた。そしてずっと残務整理に追い立てられていたせいで、この日、例の上司と二人っきりになっていたのに気が付かなかった。
「名栗くん、送るよ」
 疲れ切っていた佳輔は、しつこい誘いから逃れる上手い口実が思い付かなかった。結局折れて、渋々上司の後についていく。
 上司は車通勤だ。常にワックスのかかった綺麗な車体は、これが彼の唯一の趣味であることを示している。
 何度か乗ったことがあるが、乗る度にマシンの性能やらドライブのテクニックやらのご高説を垂れてくれるので、毎回適当に聞き流すのが億劫なぐらいだった。勿論、この車の中でヤったことも何度かある。シートベルトで腕を縛り上げられて……ああ、うんざりする。
「そういえば、クリスマス忙しくて会えなかったね。遅れたけど、これ」
 そう言ってグッチの紙袋を渡された。クリスマスなんて忙しくて存在すら忘れていた佳輔は、その紙袋を見て、自分が投げやりに無理難題を出したことを思い出した。
「開けてみて」
 そう言われて恐る恐る包みを開けるとそこにあったのは……
「……セロテープだ」
 マジかよ。グッチってセロテープまで出してんのかよ。佳輔の手の中で、黒い天然皮革の重厚な作りのセロハンテープカッターが鎮座していた。
「さすがにそれだけじゃあ何だと思ってね。定規と鋏と鉛筆削りも付けておいたよ」
 ありえねー。グッチって一体何考えてんだ。つーかおっさん空気読めよ、子供の入学祝いじゃあるまいしどの面下げてこんなモン買ってきたんだ。と佳輔はセロテープを手にしたまま、暫くその場で呆然としてしまった。
「年末年始はどうするつもりかね」
 呆けている佳輔を気に留める様子もなく、上司は車を発進させた。
「あ、あの……実家に、帰るつもりです」
 嘘だった。実家から勘当された佳輔に、帰る家など無かった。しかし、下手に答えると、連休中ずっと自分のマンションに泊めてくれなどと言われそうで怖かった。この上司は既に、家庭に居場所が無くなっているのだ。
「そうか。君は石川出身だったな」
 さり気なくそう言っているが、佳輔は上京して以来、自分の出身地や実家について他人に話したことは一切無い。おそらく出身地や家族のことはおろか、佳輔に関することは調べ尽くしているに違いない。
 それを考えただけで佳輔はゾッと身を震わせた。つくづく、自分は男を見る目が無い。いくら顔が良かろうと身体が良かろうと金持ってようと、こんな奴に追いつめられている自分は、きっと目が腐っているんだろう。
 そうしている内に、上司はさも当たり前のようにホテルの駐車場に車をつけた。以前も来たことがあるホテルで、モダンな近代建築風の入り口に見覚えがあった。
「す、すみません、今日俺、疲れているんで……」
 慌てた佳輔が車から降りて逃げようとすると、上司が腕を掴んで引き止めた。
「だったら、ここで寝るだけでも構わないよ」
「でも、実家に帰る準備とか、しなきゃいけないし……」
 必至に断る口実を探す佳輔の腕を引き寄せ、無理矢理唇を塞ごうとした。この上司はしつこさこそあるものの、こんな風に無理強いをするのは初めてだった。それだけ、この人も追い詰められている。
「放し……いっ、いやだっ」
 思わず腕を振り回して押し退けてしまった。今まで従順に抱かれていた佳輔の抵抗に、上司はしばし愕然と見返していたが、今度は意を決したように起きあがると、佳輔の下半身をまさぐってきた。
 全身の毛穴から冷たい空気が湧き出てくるような感覚に襲われた。ゾッとする、なんてもんじゃない。触れられたところがとにかく汚らしく感じられて、そこから腐っていってしまいそうな錯覚さえ覚える。
 しかし、人間は不思議だ。この前までこの男に何の疑問もなく普通に抱かれていたのに、今は同じ空気を吸っているということすら耐えられない。
 そう、とにかく耐えられない。
「さっ、触んなよッ!!」
 散々抵抗した末、気が付いたら、持っていたグッチのセロテープで思いっ切り上司の頭をブン殴っていた。それだけでは飽き足らず、シートやらハンドルやら周りにあるものをやたら滅多打ちにしていた。車体が揺れて、バランスを崩したのか身を守ろうとしてなのか、上司はシートの下に無様にはまり込んだ。
「お前がカミさんに愛想尽かされたのは俺のせいか? ああ!? なんで俺がお前なんかの掃き溜めになんなきゃならねーんだよ、クソ野郎ッ!! そんなにしたきゃ車とセックスしてろこの豚ァ!」
 ブチ切れていた。理性なんて欠片も残っていなかった。幸い、フロントガラスは割れなかったが、上司ご自慢の綺麗な車内はもう滅茶苦茶になっていた。そして、そのままの勢いで車内から飛び出した佳輔は、ついでに車のボンネットも叩きのめしてやったのだった。



「佳輔ぇ、元気出しなよ~」
「出ねーよそんなもん」
 仕事納めのあの日以来、自分のマンションにいるのは危険だと考えた佳輔は、大事を取って暫く崇史のアパートに世話になることにした。
 でも、正直なところは、一人でいると憂鬱に拍車が掛かって沈み込んだまま立ち直れなくなりそうだったからだ。これから自分の仕事はどうなるのか、考えただけでどん底まで落ち込んでしまう。
 佳輔が泊まりに来て寂しがり屋の崇史は喜んだが、崇史も大晦日から三が日まで実家に帰るというので、その間どうしようか佳輔は頭を悩ませていた。こんな形で帰る家の無い侘しさを味わう羽目になるとは思ってもみなかった。
「佳輔が落ち込んでると俺までブルーになっちゃうよー。珍しく佳輔がうち来たと思ったらさあ。ねえ、どーして実家にも帰れないの?」
「余計ヘコむこと訊いてくるなよ……」
「あっ、ごめんね、言いたくないならいいよ」
 こたつに肩まで潜り込んでいる佳輔に、崇史があっけらかんと追い打ちをかけてきた。でもこれはしょうがない、崇史は上司のことも実家のことも本当に何も知らないのだ。
「とにかく、実家には帰れないし、俺ん家も駄目なんだ。お前には迷惑かけるけど……」
「そんなことないよっ! 佳輔、ずーっとここにいればいいよ」
「え、それはちょっと……」
 崇史の部屋は六畳一間の木造アパートだ。部屋は散らかり放題だし、壁が薄いのできっとあの時の声も筒抜けに違いない。
 でも、崇史が実家に帰っている間、ここに厄介になるのはいいかもしれない。部屋を汚す原因である崇史が居ない間だったら、掃除ぐらいしてやってもいい。
「ま、一緒に住むんなら佳輔ん家みたいなオサレなマンションがいいけどねー」
 そう言って崇史は佳輔を後ろから抱きしめた。犬みたいに首筋に鼻を擦り付けてくる。
「ん……っ、くすぐったいっての。一緒に住むなんて言ってないだろ」
「えー、住もうよ、俺寂しくって死んじゃいそう。あっ、そうだ、だったら佳輔、正月うち来なよ」
「は?」
「だから、俺の実家。結構近いんだ。うん、それがいい! そうしよう」
 一人で勝手に決めて盛り上がってる崇史は、佳輔の頬やら額やら顔中に口付けをしまくった。
「ちょ、ちょっと待てよ、行けるわけないだろ、何考えてんだ」
「平気だよ、うちの親そーゆーの気にしないし。ね、一緒に初詣とか行こうよう」
 また犬みたいに首筋に鼻を擦り付けてきた崇史に、服の上から身体を弄られる。
「待てよ、気にしないとかじゃあなくて、おかしいだろ。俺がお前の家行って……あ、ま、待てって……」
 佳輔は後ろから抱きつかれるのに弱い。付き合ってまだそれほど経ってはいないが、崇史は佳輔の感じやすいツボをよく心得ていた。性格が全然噛み合っていないのに佳輔が崇史に惹かれるのは、崇史とのセックスにハマっている、というのも正直なところだった。
「あ……ん、」
「佳輔……好き」
 口の中が全部奪われてしまいそうな濃厚なキス。佳輔はキスが上手い、といつも崇史は言う。舌がなめらかに動いて、それに翻弄されてるうちに口の中が全部性感帯のようになってしまうと言うのだ。
 そんなキスぐらいで崇史を引き止められるのなら、いくらでもしてやると佳輔は思う。でもいつか、どんなに上手くキスをしても駄目になってしまう日が来るのだろう、とも思う。佳輔はずっとそんな恋愛をしてきた。キスは上手くなっても、恋愛は下手なままだ。
 舌を絡めたまま、お互いの下半身に手を伸ばす。シャツを引き剥がして、身体を密着させる。
「あ……っ、崇史……いい……」
 耳元を強く吸い付かれる。佳輔は、更に強く崇史に抱きつく。少し汗ばんだ肩に唇を当てると、舌を這わせた。熱い。崇史はまだ耳朶を舌で愛撫していた。ゾクッとするような快感が腰から湧き上がってきて、自分の身体を全部、舐め取られてしまいたくなるような錯覚を覚える。


 そこに、間の抜けた『ブー』という呼び出しブザーが鳴った。
「何だァ……いいとこなのにィ」
 不満そうにブツブツ文句を言いながら、崇史が渋々立ち上がった。佳輔も仕方なく起き上がる。
「お歳暮かなァ」
「お前そんなんもらえるようになったのか」
「いや、もらったこと無いけど」
 乱れた衣服を整えながら崇史が玄関のドアを開けると、そこにいたのは……佳輔の上司だった。



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