そんな年末

最終話


「げっ」
 人間、あまりに衝撃を受けると頭の中が空白になる。佳輔は、土足で上がりこんできた上司の青ざめた顔を見て、その場で硬直してしまった。
「おい、おじさん、いくら俺ん家が汚ねーからってクツのまんま上がるかフツー!?」
 崇史が慌てて上司を玄関に押し戻そうとするが、思いの外強い力でそれを抗うと、乱れた着衣もそのままで呆然としている佳輔の腕を強く引いた。
「……こんな汚い部屋で、君は……こんな男と寝ているのか」
「じょ、常務、なんでここが……」
 漸く声を絞り出した佳輔は、上司が例のグッチのセロテープを手にしているのを見て再び絶句してしまった。
「君があんなことをしたのは、この男の所為なのか? 君が私を裏切ったのは……君が……」
 乱暴に胸ぐらを掴まれ、シャツが破ける。佳輔は抗うことすら出来ずに、その反動で畳に叩き付けられた。そして上司は佳輔を押さえつけると、崇史の方に向き直りセロテープを突き出した。
「君、彼と何度寝た? 彼はこんなもので男に抱かれるような奴だぞ、君は知っているのか。こんな風に人を裏切って、踏みにじって……」
 俺ってセロテープで抱かれる男だったのか、と佳輔ががっくりと項垂れていると、上司が追い打ちを掛けるように、顕わになった肌に食い込むほど強く顎を掴んできた。
「痛ッ」
「この綺麗な顔に騙されちゃあいけない、この顔と、身体で、踏みにじって扱き下ろして、嘲笑っているんだ、俺を陥れて……」
「ちょっとおじさーん、佳輔さー、俺のだから触んないでくんない?」
 この場に似つかわしくない楽天的な口調で崇史がそう言ったかと思うと、上司が突き出していたセロテープをあっさりと奪ってその頭をブン殴った。鈍い音と共に、上司が畳の上に崩れ落ちた。



 頭に一撃を食らって倒れていた上司をどこに連れて行ったか分からないが、崇史が外から戻ってきた。ドアが開く音を聞いても、佳輔は破れたシャツもそのままに、部屋の真ん中でへたり込んで俯いたまま顔を上げない。
 佳輔は、ただひたすら後悔していた。手が震えている。動揺しているのだ。この事態を招いてしまったのは、ずるずると上司との関係を引きずっていた自分の所為だ。何故もっと早くケリを付けなかったのか。あの上司なら、自分と崇史の関係を嗅ぎ付けて崇史のアパートを突き止めるぐらいやりそうなものだと気付かなければいけなかった。自分の怠慢さがこんな形で露呈するとは、情けないにも程がある。自分の仕事はこれからどうなってしまうのだろう。こんな失態を演じて、されるがままだった自分が悔しくて、セロテープで抱かれる男と言われたのはもっと悔しかった。
 でもそれ以上に、佳輔が一番動揺しているのは、崇史のとの関係はこれで終わりなのだろうな、という確信だった。
「殴らないのか」
 えっ、という顔をして崇史が振り返った。
「だから、俺のこと、殴ればいいだろ。腹立っただろ」
 いっそ思いっ切りブン殴ってくれた方がいい。冷たい言葉を浴びるよりは、身体を痛めつけられた方がまだマシだ。崇史に静かに軽蔑の言葉を投げつけられたりしたら、立ち上がる気力すら無くなってしまうだろう。
「……佳輔、ズルいよ」
 そんな佳輔を見ていられないとでもいうように、崇史は目を逸らしてポツリと言った。
「俺が佳輔のこと殴ったり出来るわけ無いだろ、佳輔ズルいよ」
 はっと顔を上げた佳輔の目から、涙が溢れていた。悔し涙だ。拭うこともせず、流れるに任せている涙は、床に手をついている崇史の手の甲にポツリと落ちた。
 それで崇史は、思わず佳輔の顔を見てしまった。あの、人一倍向こう気が強くてプライドの高い佳輔が、乱れた髪も破れた衣服もそのままに、涙で鼻を赤くして懇願するように崇史を見つめていた。
「佳輔ズルいよ、そんな顔されたら、俺、俺……佳輔のこと、滅茶苦茶にしたくなる」
 漸くそう言ったかと思うと、崇史は彼にしては荒っぽく佳輔を押し倒した。お互い息がかかるほど近くで、暫く何も言わず見つめ合う。
「崇史……」
 涙を舐め取ってやる。まだ少ししゃくり上げている佳輔の頭を肩に乗せて、ギュッと抱きしめてやる。
「崇史、お前、そんな甘いことやってると、いつか後悔するぞ……」
「後悔なんかしないよ」
 ズボンを下着ごと引き下ろすと、足の間に腕を入れて、そっと内股を撫でた。顕わになった肌が、さっきの所為で所々赤く腫れているのが痛々しい。それでもいつだって、佳輔の肌はなめらかなままだ。
「どーせ忘れちゃうし」
 あ、そうか、こいつ馬鹿だったんだ。と妙に納得してしまった佳輔は、崇史にされるがままに腕を回し、自ら足を開いた。
「とにかく今は、佳輔のこと滅茶苦茶にしたい」
 辿々しいキスなのに、口の中が全部奪われてしまいそうな気がするのは、彼の唇も舌も弾力があって吸い付いてくるからだ。本当に全部奪われてしまいたい。キスが上手いのは自分ではなくて崇史の方だ。感じ過ぎて何も考えられなくなって、腰から下が溶けて無くなってしまいそうになる。
「はあ…っ、あ、そこ……すご、く、いい……」
 自分が異常に興奮しているのが判る。耳朶を囓られながらペニスを強く扱かれて、先走りが下腹にも尻にも滴り落ちている。
「佳輔、すげーエロい顔してる……。俺のこと、見て……」
 言われるままに顔を向けると、崇史が佳輔の足を掴んでぐっと持ち上げた。
「た、崇史、やっ、だ、……っ、あぁーッ」
 ロクに慣らしもせず、強引に突っ込んできた。崇史も興奮しているのが判る。さすがの佳輔も、これには悲鳴に近い声を上げてしまった。
「うーッ、ってえ、やだぁっ、あーっ、はあぁ……ぁ……」
 涙がまた頬を伝っていった。熱い涙。それをまた崇史は優しく舐め取ってやると、佳輔の腕を押さえ付けたまま激しく突き上げてきた。
「あぁ…… っ」
 涙が止まらない。拭おうにも腕を掴まれていてそれもできない。突き上げられるたびに、涙が伝う。
「やっ、……っく、はあ、あぁん、……ひ……っく、ん、あぁっ」
 しゃくり上げながら喘ぐ佳輔の口を、崇史は愛おしそうに唇と舌で塞いだ。そして佳輔は、泣きながら何度も何度もイかされてしまったのだった。



 崇史の実家は、同じような家が建ち並ぶ、都心からちょっと離れた郊外の街にあった。
「お……お邪魔します」
 今にも消え入りそうな声で佳輔が頭を下げると、奥から出てきた崇史の母親が穏やかに笑った。崇史の母親とは思えないほど、おっとりとした美人だった。
「いつもうちの崇史がお世話になってまして。どうぞ、遠慮せずお上がりになって」
「佳輔ほら、早く入んなよ」
 暫く玄関で逡巡していた佳輔だったが、崇史に散々つつかれて渋々中に入った。
「あ、あの、名栗と申します。今日は突然すみません」
「崇史からお話は兼々伺ってますよ。寒いでしょ、さ、早く上がって」
 兼々伺っているって、崇史こいつ、一体母親に何話しているんだ。佳輔はさっきから肝が冷えしっぱなしだった。
「あ、お兄ちゃん、帰ったの~」
 二階の崇史の部屋に上がる途中、隣の部屋から妹まで出てきた。崇史に顔の作りがどことなく似ていて、特に口元と、語尾が伸びる話し方がそっくりだった。挨拶もせず興味津々に佳輔の顔を覗き込んでくる。この兄妹に遠慮という言葉は無いらしい。
「えー、この人、お兄ちゃんの恋人? ウッソー。超勿体なーい」
 ああ、穴があったら入りたい。佳輔は今日ここに来たことを鬼のように後悔した。
「ね、ね、どーしてお兄ちゃんなんかと付き合ってんの? お兄ちゃんすんごいだらしないし甘ったれでしょ。それともお兄ちゃん異性にはだらしないけど同性にはマメなの? ンな訳ないよねー」
「路子っ、オメーも人のこと言えねーだろーが!」
「お兄ちゃんには言えるね、ヨユーで」
 何だよこの兄妹、どうにかしてくれよ。しかし傍若無人な崇史も意外と妹には弱いようで、部屋に無理矢理押し返すと「超失礼な妹でごめんね」と謝ってきた。
「お前より凄いのがいるんだな」

 崇史の部屋は、今でも十分使えそうな、ちゃんと整理整頓されている部屋だった。今住んでいる部屋よりよっぽど綺麗だ。広さもそれほど変わらない。崇史はこの部屋で成長したのか、としみじみと眺めてしまった。一昔前のグラビアアイドルのポスターが時代を感じさせる。
「ああすっかり物置にされちゃってるなあ。ま、しょーがないか。佳輔、その辺適当に座っててよ」
「なあ、お前、何でこんないい部屋があるのに一人暮らしなんかしてんだ?」
 十分都心への通勤圏内だし、今住んでいる木造アパートなんかよりずっと過ごしやすいはずだ。部屋にはエアコンもついているし、ベッドや机もそれほど傷んではいない。何と言っても、寂しがり屋の崇史が家族が近くにいるにも関わらず、一人で暮らしているのが不思議だった。
「んー、何っつったらいいのかなあ。うちさ、親が離婚してさー、俺それ結構ショックで家出てっちゃったんだよね」
 結構深刻な話のはずなのだが、崇史はいつもどおりのあっけらかんとした喋り方で、佳輔はただ「ふーん」としか言えなかった。
「母ちゃんが浮気してさ、俺すっげーそれ許せなくてさ。でも時間が経ったら割と平気になっちゃった。んで今じゃ普通に年末年始は家帰るようになったの」
 そう言えば、大晦日だというのに父親がいる様子がなかった。父親とは別に会っていたりするのだろうか。家から出て行きたくなるほど許せなかった母親を、時間の経過だけで許せるようになるものなのだろうか。
 佳輔がそれを訪ねようか迷っているうちに、下から「お蕎麦できたよー」と声がかかった。



 小雪が舞う中、佳輔と崇史は神社への道をとぼとぼと歩いていた。
「こんなに遠いなんて聞いてないぞ」
「もーちょとだって! そろそろ見えてくるよー」
 崇史がすぐそこだから、なんて言ったのを真に受けた自分が馬鹿だった。佳輔は冷えた手を擦りながら、こんなに遠いのならタクシーでも拾って行くべきだった、と今年最後の後悔をした。
「いつもは自転車で来てるんだけどさ、今日は佳輔も一緒だから」
「歩いて来れる距離じゃねーだろ、もーっちと考えろ」
 剥き出しになっている耳が寒さで痛くなって、耳朶を手で擦る。
「ちょっ、何すんだっ」
 擦っていた手を掴んで、崇史が佳輔の耳朶をはむはむと噛んできた。
「耳冷たそうだったから」
「道路のど真ん中でそんなことすんな!」
 本当に今年は最後の最後まで散々だ。とりあえずお参りをしたら破魔矢を買っておこう。ああでも、今年は崇史と出会った年でもあるんだ。その今年が、もう終わる。
「なあ、崇史、どんなに許せない奴でも……時間が経ったら平気になるもんか」
 今年も実家には帰れなかった。拗れに拗れた人間の感情は、そんなに簡単には修復出来ない。近しい相手であればあるほど、それは難しくなる。
「相手によるかな」
「なるほど」
 崇史にしては現実的な返答だった。
「ねえ、佳輔。許すって思わなくてもいいんだ。まーいっかって思えばいいんだよ」


 やっと神社が見えてきた。たくさんの幟が掲げられ、境内は参拝客でごった返している。篝火が火の粉を舞い散らせて、夜の闇を赤々と照らしていた。
 除夜の鐘が鳴り始めた。気温がどんどん下がり始め、雪がかなり本格的に降り始めてきた。そして崇史が佳輔の顔を覗き込んで、舞う雪と吐く白い息越しに微笑んだ。
「あけましておめでと」
「おめでとう」
 新年の最初にこの笑顔を見られたのだから、今年はいい年になりそうな気がした。でもとりあえず、破魔矢は買っておこう。



2005年公開
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