心もよう 空もよう

第五話


 『白科』に来るのは二度目だった。担当の女中は何となく見覚えがあったので前と同じ人のようだったが、あちらの方は松永のことは覚えていないようだった。
 部屋に通されひとまず一服する。以前来たときよりもいくらか上等な部屋で、床の間には大きな信楽焼の花器に、早咲きの白梅が生けてあった。客はまだ来ない。
「松永君」
 煙草の灰を大きなガラスの灰皿に落としながら、川上主査は松永の方に向き直った。
「公団住宅の話、あれ流れたそうだねえ」
「はい。ほぼうちに決まっていたんですが、竹下建設に持ってかれました」
「そうか、惜しかったな。だったら尚更、今日の話は決めておかないといかんなあ」
 廊下からバタバタと足音が通り過ぎていくのが聞こえた。襖が動かないところを見ると、うちの客ではなかったようだ。
「今日の話……ですか」
 視線が合わないように、しかし相手の表情を注視しながら、松永もガラスの灰皿に煙草の灰を落とす。
「君の方がよく判っているんじゃないのかな? このままボーっとしていたら、あっという間に窓際か地方だよ。君とて例外ではない。ボーっとしているならまだしも、会社の不利益になるような行動をとっているとしたら尚更ねえ。……いや、これは仮に、の話だが」
 ぎくりと方が揺れるのを、すんでのところで堪えた。川上主査は素知らぬ顔で、二本目の煙草に火をつけた。マッチの擦れる音がやけに耳につく。大きなガラスの灰皿に、また灰が積もった。
「とにかく、今『我々』に必要なのは業績だよ。確かにボーっとしていても上に上がっていくやつはいる。しかし『我々』は違う」
 廊下から慌ただしい足音が近付いて来た。女中が襖を開ける。
「どうもどうも遅れまして」
 見覚えのある面長の顔と些か薄くなった頭髪。蓮田だった。しかし今日は彼一人ではなかった。蓮田は一歩下がると、後ろの人物を先に部屋に促した。
「いやいや、ご無沙汰しておりました」
 恰幅のいいその男は愛想笑いを浮かべ、丁寧にお辞儀をした。笑うと細い目が線のようになるのが、愛嬌の良さそうな印象を与える。こちらこそ、と川上主査はさらに深々とお辞儀をし、それにつられて松永も頭を下げた。
 二人が席に着くと、タイミングを見計らったように料理が運ばれてきた。場が落ち着いてきた頃、川上主査は愛想のいい男に松永を紹介した。
「彼はうちの有望株でね」
 随分持ち上げられたもんだ、と思いながら、松永は形式的な謙遜の言葉を述べた。愛想のいい男は『佐々原』と名乗ったが、名刺は渡さなかった。様子からすると蓮田の上役という印象だったが、このことからも、今日の話は非合法的な意味合いを持っていることが予想された。
 宴も酣という段になっても、世間話や最近の業界の動静など当たり障りのない話をするばかりで、人が一人増えても退屈なものはやはり退屈だった。愛想のいい佐々原は、蓮田などよりよっぽど腰が低い。しかし、線のように細くなった目の奥の鋭い視線を、松永は見逃さなかった。
「さて……」
 料理にあらかた箸を付け終わった頃、佐々原は座椅子に体を預け、座敷内をのったりとした仕草で見回した。
「今日は結構な席に呼んで頂きまして」
「いえいえ、こちらこそ、わざわざお越し頂いて……」
「都内でもこう、静かで落ち着いたところはなかなかありません。さすが川上さんは穴場をよくご存じだ。私は本当にお世話になりっぱなしです。……ですが、ね」
 場に、妙な緊張感が走る。松永は箸を止めて佐々原の方をそれとなく見遣った。佐々原の寄りかかった座椅子は、重みでギイギイと音をさせて軋んだ。
「市民体育館の件はね、竹下さんのところからも話が来ておりましてね。私らの方といたしましても、なかなか無視できない状況になっておるんです。竹下さんのところはこういう事業には強いですからね」
 竹下建設は、先の松永が手掛けた公団住宅の件でも、かっさらわれたところだ。業界四位ながら公共事業に強く、棲み分けが出来ているとはいえ、目下ライバル的存在だった。
「竹下さんが出て来るなんて話はこちらでは聞いておりませんでしたが」
「ええ、私も出来ればいつも通りそちらにお願いしたいと思っておるんですが、今回はなかなか厳しいところでして」
 さも申し訳なさそうに細い目をさらに細める佐々原に、川上主査は尚も食い下がった。
「今回は、三興さんや大和さんなどにも既に話をつけてあるんです。何せ規模が規模ですから、あちらも相当調整してくるはずです」
 『調整』という言葉に松永ははっとした。大和さん、つまり大和コンクリート工業は、松永もよく知っている管内一社しかない生コン販売業者だ。三興設備も然り、日下部市の公共工事の際には必ず出入りしている。以前、管理費などの見直しをしたことがあったが、結局それらしい証拠は見当たらず徒労に終わった。それもそのはず、そんな程度の規模の話ではなかったのだ。


 暫しの沈黙が訪れた。佐々原は思案顔で障子の外に目を遣っていた。先日は、余計な口を挟んでは場を白けさせていた蓮田も、今日は所在なさげに料理を箸でつついていた。
「八分ではいかがでしょうか」
 漸くそう言った川上主査のこめかみから、じわりと汗が滲んだ。緊張が隣に座っている松永にも伝わってきて、自然と姿勢を改める。八分とは、つまり工事総額の8%のバックマージンということだ。
「む……、やはり川上さんには敵いませんなあ」
 おしぼりで顔を拭いながら、佐々原は目を細めて愛想のいい笑いを浮かべた。川上主査がちらりと、しかし鋭く、松永に目配せをした。ここまで来て、逃すわけにはどうしてもいかないのだ。
「よろしくお願いします」
 そう言って、川上主査は深々と頭を下げた。松永も、同じように頭を下げる。
 ふと、子供の頃、クラスのいじめっ子に怪我をさせてしまって、親に無理矢理謝罪させられたときのことを思い出した。友達を庇ってやったことなのに、自分が頭を下げなければならない理不尽さに腹を立て、親に言われて結局頭を下げた自分にも腹を立てていた。あのときも、憤然としながら、早くこの時間が過ぎればいいと、じっと自分の膝頭を見つめていた。



 朝、出社してまず最初にやることは、新聞に目を通すことだ。主要三紙に経済紙、日刊工業新聞、日刊建設新聞などの業界紙はほぼ毎日読んでいる。別に強制されて読んでいるわけでもなく、自然と読む数が増え、最近では一通り目を通さないとかえって落ち着かないくらいになっていた。
 事務の女の子が煎れてくれた濃いめのコーヒーを口にしながら、ページをめくる。そこで松永は、主要紙では大見出しではないものの、業界紙ではトップを飾っている記事に目が止まった。



「官製談合防止法が初適用されたんです」
 松永は、出されたビールに口を付ける間もなく、意気込みながらそう言った。
「へえ」
 飯野は、珍しく興奮気味の松永に面食らった様子で、気のない相槌を打った。
「今日の日建新聞の一面見なかったんですか?」
「いや、知ってるよ。それが何か関係あるのかい?」
「官側が初めて処分を受けたんですよ。この事件、規模こそ違いますが、非常に似ているんです」
「似ている……ねえ」
 行きつけの居酒屋は人手のピークで、非常に込み合っていた。二人の座っているカウンター席も、人の出入りが激しい。
「ということは、こちらも官側が関与している証拠があるって、お前さんは言いたいのかい?」
「ええ、あの『白科』で接待したのは、いわば建設協会の連中です。『(株)ケイシーエス』は、『日下部市建設協会』の略称なんです。財団法人ではなく第三セクターの株式会社ですが、かえってそれが隠れ蓑の役目を果たしています」
「うーむ」
「飯野さん。これは想像以上に大掛かりな仕掛けです。先日逢った男はフィクサーです。初めは蓮田がそうではないかと睨んでいたのですが、彼はただの取り次ぎだったようです。彼は日下部市の役人の天下りで、今のポストに就いています。それが取り次ぐとなると自然に……」
「まあ待て」
 勢い込んで話す松永を、飯野は軽く手を振って制した。
「そう結論を急ぐこともないだろう。その男がフィクサーだというのは、やはり状況証拠に過ぎないよ。どう足掻いても、こちら側に不利な証拠しか残らないようにしてあるのさ」
「それは判っています。だから、これから、工事毎に渡されるバックマージンの捻出元の割り出しをしようと思っています。だいたいの見当は付いているんです。飯野さんにも協力していただいて、それぞれの工事原価をひとつひとつ洗い出して……」
「松永」
 大食らいの飯野が珍しく、出されたつまみに殆ど箸を付けていない。飯野は松永の視線を避けるように、気の抜けたビールを口に運んだ。
「俺、今度さ……、子供が産まれるんだ」
 唐突な飯野の宣言に、松永は言葉に窮した。普通ならここで「おめでとうございます」などと、祝いの言葉でも述べるのだろう。しかし何故、今こんな話を持ち出したのか、飯野の意図を察した松永は、それ以上何も言えなかった。



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