理由

第六話


 認めてしまうと、実に簡単なことだった。
 今までの自分の不可解な行動や気持ちに、たった一言で簡単に説明できてしまう。
 でもそんな安易さとは裏腹に、僕の不安は増す一方だった。認めたからといって、どうにかなる訳では無いんだ。僕の気持ちは空回りするばかりだった。
「ねえ、北原君さ、テストいつまで?」
 たまたま一般教養が一緒だったマネージャーの城内さんが、テストが終わったあと僕に声を掛けてきた。可愛いのにしっかり者で上級生の間で人気がある。
 うちのサークルに入った一年生のマネージャーはもう彼女一人になっていたが、誰とでも分け隔てなく付き合うタイプで、あまりそのことは気にしていないようだった。
「うーんと、25日までかな。何で?」
「あのさー、あたしの友達で、北原君いいなって言ってる子がいてさ。北原君て、今フリー?」
「ええっ? あ、う……うん」
「よかったー。今度、会ってあげて欲しいんだ。可愛い子だよ。あ、無理にとは言わないけど」
 女の子の話し方は取り留めがなくて、話題の移り変わりが早い。僕は返事をする間もなく、彼女の言う子の名前やら性格やらを聞いていた。何度かうちのサークルに遊びに来た事があるらしい。
「それで……、北原君てさ、伊能先輩と仲良かったよね」
 一通りその子の話題を終えた後、城内さんは遠慮がちに僕に尋ねた。彼女にしては自信のない喋り方。
「うん、それが?」
「ね、伊能先輩も、今フリーかな?」
 ここで初めて僕は、今までの話題がただの前フリだったことに気が付いた。彼女の話の本題は、これなんだ。
「あ……多分」
「本当? だったらさ、伊能先輩とさっき言ってた子も一緒に、みんなでマラドーナ行かない? 彼女、そこの話聞いたら行ってみたいって」
 マラドーナというのは、以前サークルの新歓で行った飲み屋の『マラドーナ地獄』のことだ。伊能、小西、高橋と四人でよく入り浸っていたのを思い出す。同じサークルの彼女がそこを知っているのは当たり前なのに、何故その名前を出してきたのか、僕は、自分の気持ちを見透かされているような気さえした。
 ……ああ、思い出した。新歓のあの日、伊能の隣にいた一年生の女の子は、彼女だった……。
「北原君?」
「あ……、な、何?」
「都合とか、訊いといてくれる?」 
「……う、うん。判った……」
 僕の消え入りそうな返事に、彼女が心配そうな顔をする。普段とは違う上目遣いの彼女に、僕は驚きよりも、何でだよ、という気持ちが沸き起こる。僕は今、一体どんな反応をしたらいいんだろう。
「やっぱ、駄目?」
「あ……、いや、大丈夫だよ」
 思わず答えてしまった自分の言葉に、胸が痛くなる。
 特に何も考えないで女の子と付き合う伊能のことだ。彼女のようにしっかりした子は彼には勿体ないくらい、良いはずだ。「じゃあ、お願いね」と言って立ち去る彼女の後ろ姿を見ながら、何で自分にそんな話を持ち掛けるんだよ、という彼女に対して半ば八つ当たりのような気持ちと、彼を諦める良い機会なのかもしれない、という思いが、僕の中でせめぎ合う。


 ただ側にいたいだけだった。それ以上の理由なんて無いと思っていた。彼が僕の隣にいて、一緒に笑ってくれるだけでいいと、それが自分の気持ちの全てだと思っていた。
 それなら何故、今こんなに胸が苦しいのだろう。どうしてこんな気持ちを抱いてしまったのだろう。
 言い訳とか、理由とか、そういうものが無いと僕はこんな自分を認めることが出来ない。自分の気持ちに、自信が持てない。……僕は、彼を好きになってしまった理由が欲しかった。



 テスト期間が終わり、暇を持て余しがちになると、当然のように伊能は僕の部屋に暇つぶしにやってくる。それはそれで嬉しいことだった。彼と過ごす時間は、何気なくて楽しい。
「……で、城内さんたちと飲みに行こうって話なんだけど」
 僕は戸惑いの混じる声を誤魔化そうと、TVを付けた。公開中の映画の紹介番組をやっていて、観る気もないのにそれをボーっと眺める。
「俺は別にいいけど。いつ行くん?」
「こっちの都合に合わせるって。いつ頃実家帰る?」
「んー、どうしよっか悩んでるんだよね。合宿免許取ろうと思って」
「え、免許取るの?」
 伊能も何だかんだ言って結構バイトに入っていて、忙しそうにしていた。免許を取る為だったのか。
「うん、だって北原の運転する車乗りたくねーもん、俺」
「な……っ、どういう意味だよ、それ」
「だって北原スピード狂なんだもんよー。ハンドル握ると性格変わるタイプだろ」
 以前、みんなで小西の実家の車で出掛けた時に、疲れた小西の代わりに僕が運転したことがあったのだが、いくら何でもスピード狂だと言われる程乱暴な運転をした覚えはない。
「んな訳ないだろ。伊能の運転する車の方が怖いよ、僕は」
「いーや、北原目つきとか変わるもん。右折ン時、歩行者とか居ると「ちッ」とか舌打ちしてるし」
 そんな事していたっけ? ボーっとしているようで、伊能の目は時々、僕を鋭く見抜く。
「だからね、北原が誰か轢き殺す前に、免許取ろうと思って」
「ああもううるさいな。勝手に免許でも何でも取れよ」
 僕の投げやりな言葉にも、彼は頬杖を付きながら幼さの残る笑顔で返す。
「うん、免許取ったら、ドライブ行こ。ドライブ」
 どうして、そんな笑顔でそんな事を言うんだろう。僕が抱え込んでいる思いを、期待を、それは一方的なものではないと錯覚してしまう。その前に車はどうするんだよ、と突っ込むのも忘れて、僕はその場で黙ってしまった。
 僕は、自分の気持ちをどうしたいのかさえ判らなかった。だから、そんな些細な彼の言葉にも返事に窮してしまう。そう、大した意味なんて無いんだ。それなのに、僕はその言葉に意味を求めてしまう。彼が僕に向ける笑顔には、理由があるのだと錯覚してしまう。
 僕が何も言えず俯いていると突然、頬杖を付きながらTVをボーっと見ていた伊能が声を上げた。
「あ、この映画、これ観たいんだよ俺」
 TVには何処か遠い国の寂しげな風景と少女が映っている。今公開中の映画の予告編のようだった。
「こんなの観るの? カンフーもカーチェイスも無いよ?」
「あのなあ、俺を何だと思ってんだよ」
「だってさあ、いつから趣旨替えしたん?」
「良いって評判聞いたんだ。北原こういうの好きそうじゃん。一緒に観に行こ。うん、明日行こう、明日」
 男同士で映画観に行くのかよ、と言いそうになりつつも、そんな風に気軽に誘ってくれることが嬉しかった。いきなり明日とか言い出すあたり、思い立ったらすぐ実行、の彼らしい。
「別の所で上映してるアクション映画の方が、伊能好きそうじゃないか?」
「いいの、俺これ観たいの。それに……」
 僕の言葉にちょっと拗ねたような顔をしながら、それでも伊能は楽しそうだ。
「それに?」
「この女の子、ちょっと可愛い」
 僕は思わずガクッと項垂れてしまった。



 蒸し暑い。
 アスファルトの照り返しで、地面が揺らいで見える。日陰に入っても湿度の所為か暑さは殆ど変わらない。僕の故郷の夏とは明らかに違う、都会の蒸し暑さ。
「あぢ~な~。蒸し風呂状態だ、これ」
「僕もう暑くて脳みそ溶けそうだよ」
 時折店先のクーラーの風が当たる。そのクーラーの冷たさも尋常じゃない。都会はいちいち極端だ。
 目的の映画館に着くと、評判が良いと言っていた伊能の言葉どおり結構人が並んでいた。男性よりも女性が多くて、僕達はちょっと周りから浮いているかもしれない。
「あ。」
「どした?」
「今日、レディースデーだって」
 だから女性が多いのか。平日の昼間だし、まあ、僕達が浮いてしまうのは当然だろう。
「何で女ばっかしレディースデーとかあるんだろうな。男も優遇してくれたっていいのになあ。ずるい」
「ジェントルマンデーは語呂が悪いから無いんだよ」
 暑さのせいか、僕がいい加減なことを言うと、伊能は面白がって「それもそうだな」と笑った。そして「学生二枚」と言ってカウンターからチケットを買い、僕に渡す。映画館の中は凉しいだろう。


 映画館から出ると、また急激な気温差に襲われた。何でこう極端なんだろう。伊能の方は、映画が終わった後も暫く鼻をグズグズさせていて、よっぽどツボにはまったらしい。上映中はもっと大泣きしていた。
「最後、何で爺さんが死んじゃうんだよ~。俺納得できねえ」
「ああ、そだね」
 僕が素っ気ない返事をすると、伊能が信じられない、と言う顔をして僕に突っかかる。
「何だよ北原、お前あれ観て感動しなかったの?」
「え? まあ、したよ」
「その面のどこが感動してるんだよ~」
 僕は映画とか観て泣くタイプじゃないんだ。ああ、いい話だな、とか綺麗な映像だな、とか思ったりするけど、感動とはまた違う気がする。そもそも感動するってどういうことなんだろう。
「何だよ悔しい、俺ばっかり」
 帰りの電車の中でも納得できないようで、伊能はずっと文句を垂れていた。
「北原絶対この映画観て泣くと思ったのに」
「僕は映画とか観て泣いたりしないよ。そんなに泣かせたいのかよ」
 きっと一人感動しまくっていたのが恥ずかしいんだろう。外は夕立になりそうな雲行きで、ふてくされている伊能の明るい色の髮が、車内に吹き込んできた風でふわふわと揺れた。
「ああ泣かせたいね。本当心が冷たいヤツだお前は」
 この言葉に、僕は思わずカチンときてしまった。僕がどんな思いをしているのか知りもしないくせに。大体何で僕なんか誘ったんだ。
「あれぐらいで泣く方がおかしいんだよ」
「あのなー、俺は普通。おかしいのは北原の方。お前、自分があんな目に遭ったら悲しいだろ? 悲しかったら泣くだろ? あれぐらいじゃ悲しいうちに入らないってのか。じゃあお前はどんな目にあったら泣くんだよ?」
「……伊能に彼女が出来たら泣くよ、多分」
 彼の言葉にムッときて思わず口にしてしまった瞬間、硬直した。
 ほとんど呟きに近かったが、いつもぐっと飲み込んでいる言葉なのに、何故今、口から出てしまったのか。
 電車の揺れる音がいつもより大きく耳に響いてくる。腹の底から沸き上がる後悔の念。彼に聞こえただろうか、それとも電車の騒音に掻き消されたのだろうか。
 僕は、自分の思いを伝える勇気もなければ、諦める覚悟もない。それどころか、自分の気持ちの言い訳ばかり捜していた。それが、こんな曖昧な形で現れてしまうなんて、僕はもうどうしたらいいかわからなかった。
 車窓から外を見たまま、動くことが出来ない。彼からは何も言ってこなかった。余計不安になる。

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