理由
最終話
城内さん達と飲みに行ったのは、映画を観に行った日から少し経ってからのことだった。
正直、とてもじゃないが行く気になんてなれなかったのだが、伊能にこの話をしたのは僕だし、城内さんにも大丈夫だよ、なんて言った手前、行かない訳にはいかなかった。
「マラドーナ行くの、久しぶりじゃねえ?」
伊能に会うまで、僕は緊張のあまり俯いてばかりいた。
でも、彼は何事もなかったように僕に声を掛けた。すると、あの時のことなんて、初めから無かったような気さえしてくる。
聞かなかったことにされたのか、本当に聞いていなかったのか、どちらかはわからないし、僕にはそれを聞き質す勇気がない、ただそれだけのことだった。
店の前で城内さん達と合流すると、店内のあの、いつも僕達が座っていたTV前の席に陣取った。彼女が連れてきたもう一人の子、佐川さんは確かに彼女の言う通り可愛い子で、少しそそっかしい所がしっかり者の城内さんと合っているようだった。
「えっ、じゃあ北原君、あたしよりいっこ上なんだ。確かに落ち着いてるもんね~」
「落ち着いてるっつーか、落ち着き過ぎね、北原君の場合」
僕としてはオマケのつもりで来たのに、いつの間にか話題の中心になってしまい、質問攻めされる羽目になってしまった。
城内さんの方はあまり伊能に話しかけていない。逆に佐川さんの方は積極的で、僕は終始狼狽えっぱなしだった。
「いや、こう見えて結構、気ィ強いんだよ。な?」
伊能まで僕に話題を振ってくる。別に、気が弱い訳でもないけど大して強くもないぞ。伊能の方こそ結構頑固で強引だ。
「意外~。そんな風には見えないけどな」
僕が反論する間もなく、佐川さんが声を上げる。僕は自分を話題にされるのがとにかく苦手なんだ。伊能もその事は知ってるはずなのに、助けるどころが逆に話を振ってくる。
その後も、いくら他の話を振ってもすぐに話題は僕の話になってしまい、まるで晒し物にでもなってるような気分だった。
佐川さんは、僕がいくら素っ気ない返事をしても凄く楽しそうにしていて、いつも笑顔を絶やさない。笑ったときに出来るえくぼが可愛らしかった。
それなのに僕は、結局伊能にあまり話しかけなかった城内さんが気になってしょうがなかった。意外に奥手なんだな、と思うと同時に、それだけ真剣なんだとも思った。視線はずっと伊能に注がれていたから。
閉店の時間になったので、僕達はそのまま解散になった。本当にただ一緒に飲みに来た、という感じだ。正直なところ、僕はホッとした。
でも、僕にとって辛いのはこれからだった。
あれから初めて伊能と二人きりになった。何から話していいのか、それとも何も話さない方がいいのか、彼との帰り道は僕にとって大切なものだったはずなのに、僕は自ら辛いものにしてしまっている。あまりに滑稽だった。
城内さんのあの視線を思い出す。僕だって、真剣だ。それなのに、僕は一体何をしているんだろう。
「で、どうなん? 佐川さんは」
「えっ……、そんなのわかんないよ」
「ふーん。でも向こうはその気満々じゃなかった?」
正直、彼女と付き合ってみるのもいいかもしれない、と思わなくはない。良い子みたいだし、こんな曖昧な状態をどうにかするいい機会なのかもしれない。でも、良い子だからこそ、そんなこと出来るはずがなかった。
「だから、まだそんなのわかんないって。それより伊能はどうなんだよ」
「俺? 俺関係ないじゃん」
ちょっと拗ねたようにそっぽを向く。伊能は城内さんのことは気付いていないんだろうか。少し気まずい空気が流れて、熱帯夜の生暖かい夜風がそれをより重くする。
すると突然、伊能が僕の腕を引っ張った。
「ちょっと待ってて。俺、借りたいビデオあるんだ」
よく僕達が利用していたレンタルビデオ屋の前だった。
「AVでも借りるの?」
僕が気まずい雰囲気をどうにかしようと冗談を言うと、伊能がニヤリと笑う。
「おい、俺ビデオデッキ持ってないんだぜ……。一緒に観たいってんならいいけど」
「ば、馬鹿」
自分から冗談を言った癖に、逆にこっちが赤面してしまい、そんな僕を見て伊能が笑い出す。でもお陰で、少し雰囲気が軽くなった。彼が笑うと、周りの空気が透き通って明るくなる……そんな気がする。
レンタルビデオ屋から出てくると、伊能は突然、これからその借りてきたビデオを観ようと言い出した。こんな遅くに? と思ったけど、彼がどうしても、と言うので、いつものように僕の部屋で観ることになった。よく考えたら、彼と一緒にビデオを観るのは久し振りだった。
ビデオをセットして再生が始まると、僕は吃驚した。古い日本映画なのだ。何となく知っている俳優、全体的に色褪せたトーンの映像。
「あの……最近、どうかした?」
この前の映画といい、路線が違いすぎる。カンフーアクションに燃えていた彼はどこに行ったんだろう。酒を飲んでいると「あと一杯で酔拳マスターできるから」とか訳判らないことを口走るような奴なのに。
「いいからいいから、真面目に観なさい」
伊能は諭すようにそう言うと、僕の顔を無理矢理TV画面の方に向かせた。
物語は静かに進んでいく。最早色褪せた感のするストーリー、段々明らかになっていく事件の真相と、ある男の過去。そしてそれを静かに見守る音楽……僕は、いつしか涙を流していた。
「北原、泣いてる?」
すると突然、横から伊能がニヤニヤ笑いながら僕の顔を覗き込んできた。映画はもう終わろうとしている。あの感動屋の彼が何故泣いていないんだ?
「な、何で泣いてないんだよ」
「えへへ……俺もうこの映画三回観たんだよね」
「はあ?」
彼はまだニヤニヤ笑っている。僕が泣いているのが余程可笑しいんだろうか。
「何で三回も観た映画を、また観るんだよ」
訳がわからない。こんな映画を彼が三回も観たなんて信じられない。僕が涙を拭こうと手を目元に持っていくと、彼はその手を掴んで自分の元に引き寄せた。
「だって俺、彼女いらないからさ。何か別の方法で北原のこと泣かせてやろうと思ったんだ」
「な……っ」
あの時呟いた僕の言葉を、伊能はしっかり聞いていた。恥ずかしさで顔が熱くなる。しかも彼はまだ掴んだ手を離してくれない。
「ここんとこ北原、マラドーナ飲みに行こうって誘っても忙しいとか言って全然相手してくんないし、折角ジャッキー・チェン大会開いてもつまんなそーな顔してるし、北原の好きそうな映画誘ってもつまんなそーな顔してるし、その上、城内さん達と飲みに行こうなんて言ってくるから、もー泣かせてやろうと思ったんだ」
一気に捲し立てる彼を僕は呆然と見つめた。涙はまだ止まらない。
「もう俺ばっかり空回りしてる気がしてさ。な? 泣かせたくなるだろ?」
僕に同意を求めるなよ。信じられないくらい伊能の顔が近くにあって、大きな黒い瞳に涙目の僕が映っている。
「それって小学生の理論だろ」
「うん。好きな奴ほど泣かせたくなる」
伊能はいつものあの、幼い笑顔を見せると、彼の大きな黒い瞳が細くなって、瞳に映った僕が吸い込まれて見えなくなった。今自分はどんな顔をしているんだろう。顔どころか耳まで熱くなっているような気がする。
彼の前髪が僕の額に当たって、初めはそっと唇で触れるように、今度は舌先で軽く舐められる。じゃれ合うような、戸惑いの混じったキス。
「ん……っ」
でも段々我慢できなくなって、お互い確かめ合うように舌を絡ませ始める。慎重過ぎるほどゆっくりと、少しずつ唇を重ねていく。伊能の唇は思っていたよりもずっと優しくて、舌が絡むたびに僕は、頭の後ろの方から指先が痺れていくような感覚に襲われた。何も考えられなくなる。
唇を離した後も暫くお互い何するわけでもなく見つめ合い、僕は凭れるように彼の肩に顔を埋めた。
「あー、何かキスするだけでこんなに緊張したの初めて」
「伊能でも緊張するんだ」
「俺すぐ緊張するんだって。今もすごいドキドキしてるの聞こえない?」
そう言われて耳を澄ましてみる。でも耳に響いてくるのは自分の鼓動ばかりで、こっちこそ聞こえてしまいそうだった。
「そんなの聞こえないよ」
「ふーん。俺は聞こえるよ、北原の心臓の音」
「えっ」
焦って顔を上げる。さらに大きく鼓動が耳の中で響き渡った。こんなに近くにいたら、やっぱり聞こえてしまうものなんだろうか。すると伊能が、僕の顔を覗き込んで笑った。
「嘘だよ」
「……な、何だよ、からかうなよ!」
得意そうに笑う伊能にカチンときて、思わず突っかかってしまった。縺れ合って、床に身体を押しつける。身体がぴったりと密着して、またお互いの顔が凄く近くなった。
今度は、聞える……彼の鼓動の音が。僕の身体に伝わってくる。もっと側で聞きたくなって、彼のシャツを捲って胸元に手を滑り込ませた。
「お、おい、お前からなの?」
「えっ……、違うの?」
「いや、だってさー。……ま、いっか」
伊能は、考える仕草をした割に気軽にそう言うと、僕のシャツを脱がせて、ギュッと抱きついてきた。彼の吐く息が首筋にかかって、その吐息が腰まで降りてきて僕を甘く疼かせる。こんな風に触れ合うだけなのに、どうして溜息が出てしまうんだろう。さっきよりもずっと激しく、口腔内を舐め尽くすようにキスを交わす。
「や、やっぱ無理そう…」
身体の奥に腰を進めると、伊能はらしくなく弱気な声を上げた。
「何だよ、ここまで来といて」
「でもさー……あっ」
もう透明の液が滴っている彼の熱いものに触れると、鼻にかかった甘い声を出して顔を歪ませた。一瞬見せた彼の知らない顔に、思わずドキッとする。
快感に身体を仰け反らせて、半開きになった口元を見ると、自分が彼にそんな顔をさせているのかと体が熱くなる。僕は、そんな彼の口元を指で辿った。
「ん…っ、あ、……本当、駄目だって。ほら俺、身体固いし……」
「さっき『ま、いっか』って言ってたくせに」
ここまで来て後戻りなんか出来るもんか。僕は意を決して彼に覆い被さろうとした。が、その勢いで逆に押し倒されてしまい、暫く二人で揉み合いになる。
「おい、怖じ気付いたのかよっ」
「違うって、ほら、人には出来ることと出来ないことがあるだろ?」
「言い訳になってな……あっ、馬鹿、くすぐるなって……あーっ」
僕が反論しようとしたその時、脇腹辺りから脇の下にかけて手が滑り込んできた。床に倒れ込んで必死に抵抗しても、伊能の手は僕の抵抗をいとも簡単にすり抜けていく。
「へー、北原ってここ弱いんだ」
「そんなの誰でも弱いだろっ。あっ、やだって、本当やめろっ……」
ああ、マズい、このままじゃまたいつもみたいに彼のペースに填ってしまう。
でも、くすぐられながら耳の後ろから首筋にかけて舌で辿られると、僕は思わず鼻に掛かった声を出してしまった。首筋を何度も強く吸われ、その度に小さく声を上げてしまう。
「ぼ、僕も無理だって……」
伊能が上に覆い被さってくると、僕も彼同様弱気な声を上げた。自分が受け身になるという、何とも言えない違和感。
「でも、俺もう我慢できない」
僕の顔を両手で挟んで、伊能が真っ直ぐ見つめてきた。少し潤んだ瞳にドキッとして、僕は何も言えなくなってしまう。彼の瞳に僕が映っている。ただそれだけで、胸が締め付けられる。
「あ、伊能、待っ……」
躊躇っている僕を強く抱きしめると、彼は僕の腰を掴んで一気に貫いた。やっぱり無理だった、などと思う暇もなく、息をするだけで精一杯になる。これに比べれば身体を開いた時の抵抗感など些細なものだった。身体を揺らすたびに身体中の力が抜けていくのに、どんどん敏感になってくる。痛みと快感が綯い交ぜになって僕の中をいっぱいにしていく。
「……んっ、あ……、あ、あっ」
もう湿った声を出すのを抑えることも出来ずに、僕は彼の肩にしがみついた。上手く息が出来ない。その上、自分のも扱かれて、僕は頭の芯が痺れるような、今まで感じたこともない快感に翻弄された。
「はぁ…っ、北原、顔見せて……」
しがみついた僕を離して、伊能が潤んだ目で僕を見つめる。駄目だ、もう、彼への思いが溢れてどうにかなってしまいそうだ。
「…ああ、すげーいい、俺おかしくなりそ……」
「伊能、そんな動かしちゃ駄目だって……あ、あっ」
最後の方は、お互い感じすぎて何を言ってるのか判らなくなり、いつ果てたのかさえも判らない程だった。
気が付いたら、この暑いのに二人とも狭いベッドでくっついて寝ていた。腰の感覚が殆どないし、汗が身体にまとわりついて酷い有様だったが、目を開けるとすぐ目の前に伊能の顔があって、そんなことはどうでもよくなってしまう。
「その……、どうして、こうなってもいいって思ったの?」
僕は、二人の関係が崩れるのを恐れるあまり、そこから一歩踏み出すことが出来ないでいた。何事もなかったようにすればいいとさえ思っていた。
でも、伊能はそんなもの、いとも簡単に飛び越えてしまった。
「どうしてって……んなの、理由なんかある訳無いじゃん」
僕の言葉に、彼はいつものあの、僕が誰にも取られたくないと思っている笑顔を浮かべると、額をこつんとくっつけた。
「だって、北原のこと好きになっちゃったんだもん」
僕はこの時初めて、彼を好きになってしまった理由が判ったんだ。