理由
第三話
店の外に出ると、ひんやりとした風に当たり少し酔いが醒めてきた。と僕は思っていたのだけど、さっき程ではないがまだ頭がクラクラして、足元が憶付かずきちんと立っていられない。
テキーラの一気飲みなんて我ながらバカなことをしたもんだ。
「おい、北原大丈夫か?」
小西が心配そうに僕に声をかけた。彼は幹事なのであまり飲むこともできず忙しそうにしているのに、僕に気をかけたりして気遣いが細かい。ちょっとお節介なところがあるけど、そこが彼の良いところなんだろう。
でも、今僕はとにかく放っておいて欲しい気分だった。
「いやあ、北原の漢っぷりを見せてもらったよ」
「バカか、そういう問題じゃねえだろ」
高橋はまだ酔ってて意味もなくゲラゲラ笑っている。小西はやれやれ、という顔をして高橋の脇腹を小突いた。
「二次会……は無理だよな。……おい、伊能、北原送ってやれよ。お前部屋隣だろ」
小西に呼ばれて、他のサークル仲間の所にいた伊能が僕の側に寄ってきた。少し屈んで僕の顔を覗き込む。
「北原、大丈夫?」
「……大丈夫だよ。一人で帰れる」
そう言うと、僕は皆に挨拶もせず突然寮の方向に歩き出した。騒ぎ声を背にしながら、僕は何で自分がそんなに苛々しているのかよく判らなかった。皆が僕を心配してくれているのに、それが鬱陶しい。
「待てよ、北原、危ないって」
後ろから伊能が駆け寄ってきた。僕はそれを無視してどんどん歩いていく。彼が声をかけるたびに苛立ちが募り、それを振り切るように僕は歩みを早める。
しかし、後ろから腕を引掴まれたと思った途端、腕を回され肩を担がれた。僕はビックリして伊能の方によろける。
「ちょっ……! 離せよ」
「お前、自分が真っ直ぐ歩けてないのわかってないだろ」
ちょっと怒ったような口調で、伊能は僕を睨み付けた。確かに自分の足取りには自信がないので僕は何も反論が出来ない。
「……二次会、出なくていいのかよ」
「いいよ別に。どうせカラオケだし」
「でも……」
「だからいいっての。酔っ払いが遠慮なんかすんな馬鹿」
僕と伊能の背丈や体格はほとんど変わらない。フラついている僕を支えながら歩くのは重くて大変だろう。それなのに彼は悠々と僕の肩を担いで歩いて行く。彼の速い歩調に、夜風が頬をすり抜けて行った。
伊能に飲み過ぎたのを怒らながら僕は、妙に自分が安堵しているのに気が付いた。鬱陶しくて気分が悪くなるだけだった酔いが、ふいに頭のグラつきさえも心地良くなってくる。
でも、そのとき僕は、そのことについて深くは考えなかった。多分酔いが醒めてきたのだろうと、ただそう思っていた。だってそれ以上の理由なんて、今の僕には必要なかったからだ。
シャツ越しに触れる彼の肩の暖かさと、少しひんやりとした夜風が僕の中をすり抜けて行って、それが今の僕の気持ちの全てだった。
あれから僕は、すっかりあの店の常連になってしまった。勿論僕一人ではなく、伊能たちと四人で、だ。
何せあの店では、いつでも何かしらサッカーの試合を引っ切りなしに流しているのだ。
やっぱりサッカーの試合は一人で観るより大人数で騷ぎながら観る方が断然楽しい。今日はリーガ・エスパニョーラのバレンシア対サラゴサ戦をやっていて、僕たち四人は一番良い席でTV観戦を楽しんでいた。
「はい、メキシコーラね」
店長がそう言って僕の前に出したのは、テキーラベースのカクテルだ。店長は顔に似合わず仕事が繊細で、レモンピールが綺麗にグラスを飾っている。
僕はあの新歓以来、酒が弱いというイメージが定着してしまったようで、ビールかもしくはこういった軽いカクテルばかり勧められるようになった。
まあ、確かに酒はあまり強くないのだけど、初めからそう決めてかかられるのはちょっとシャクだ。特に伊能は、横から僕の飲んでる酒を勝手に飲んでしまう。
「あっ、まだ僕飲んでないんだぞ」
「無理すんな、北原。また歩けなくなるぞ」
「てめえの飲んでからにしろよな、返せってば」
伊能はまだ自分のビールが半分以上残ってるくせに、僕のメキシコーラにも手を出す。意地汚いんだよな。
「おっ、伊能ハイペースだな。試合終了まで持つか?」
チリソースまみれのフライドポテトをガツガツ食べながら、高橋は嬉しそうに言う。高橋は、自分が飲むのもそうだが人に酒を飲ませるのも好きで、誰彼と言わずガンガン勧める。
今日の餌食は伊能で、サッカーの試合結果でテキーラ一気飲みを賭けたのだ。どうせ勝っても負けても飲むクセに。
「あー! 今のファウルだろうが! 審判ドコ見てんだ、くそっ」
「おいおい、審判には従わねーとイカンよ。伊能君」
小西が茶化しながら、歯軋りしている伊能の肩を叩いた。あともうロスタイムを入れても10分も無いのに伊能の賭けたサラゴサは一点差で負けていて、敗色濃厚と言ったところだろうか。逆転しようにもディフェンスラインが下がりっぱなしで、劣勢なのは明らかだった。
「じゃ、伊能君、約束は守ろうな」
高橋は嬉しそうに、表面張力が出来るぐらい注がれたテキーラのグラスを伊能の前に置いた。
結局予想通り伊能の賭けたサラゴサが負けたのだ。僕が飲んだときはグラスに半分ちょっとだったことを考えると、あの量はちょっとヤバいんじゃないだろうか。まあ、高橋の挑発に乗ってしまった伊能の自業自得だ。
「ちょっとこれ、多すぎねえ?」
「いやいや、俺も一緒に飲んでやるから」
頼んでもいないのに、高橋もテキーラを店長に注文した。飲む気満々だ。それを見て伊能が僕に縋って情けない声を上げる。
「北原ぁ、何とか言ってやってくれよー。俺がブッ倒れたらお前が俺を家まで連れてかなきゃいけないんだぞ」
「ブッ倒れたら救急車呼ぶよ」
「ひ、ひでえ……。友達甲斐のない奴ばっかりだ」
しかし、結局何だかんだ言いながらも腹を決めた伊能は、テキーラのグラスを一気に呷ったのだった。
店から出ると、伊能は地面に座り込んでしまい、そのまま寝てしまうんじゃないかと僕は冷や冷やだった。
「じゃあな、北原、伊能頼んだぜ」
散々飲ませておきながら、高橋はのうのうと僕に伊能を押しつけた。彼のアパートは僕達と反対方向で、ちょっと大学から遠い。ちなみに小西は実家なので、これから終電で帰らなければならない。
「これ引きずってくの、手伝ってよ」
「大丈夫、大丈夫。伊能は何だかんだ言って回復早いから」
「えー、酷いよ、高橋さん」
僕の不満の声を背にして、高橋は上機嫌で鼻歌混じりに家路に就いて行った。小西は先に駅に行ってしまっている。僕は途方に暮れて、伊能の側にしゃがみ込むと、彼の肩を軽く叩いた。
「伊能、吐きそう? 大丈夫? 歩ける?」
思わず立て続けに訊ねてしまった。でも伊能からは何の反応もない。僕はもう一度彼の肩を叩いた。
「ねえ、水とか持ってこようか? コーヒーの方がいいかな」
僕がそう言った途端、ガシッと僕の肩を掴んだと思うと、伊能は勢いよく立ち上がった。
「ちょ……っ、伊能?」
「もう大丈夫だ! 余裕! さっさと帰るぞ!!」
伊能は勢いよくそう言うと、いきなり駆け出した。しかも寮と反対方向だ。
「おい! そっち逆だっつーの!!」
酔っぱらってるくせに滅茶苦茶速い。これを捕まえなきゃいけないのかと、僕は追いかけながら途方に暮れた。後ろから石でも投げてやりたいくらいだ。
全力疾走する伊能を何とか捕まえて、僕は彼を担ぐと言うよりは半ば引きずる感じで寮の方に向かっていった。
多分、今まではこれを高橋か小西がやっていたのだろう。今は、僕がその役だ。勿論逆のパターンもあるけれど。
四人でこうして集まっていても、帰りはやはり僕と伊能の二人になる。だから自然と僕達は、他の二人より共通の話題が増え、高橋や小西との距離が少し遠くなった。いや、遠くなったのではなく、僕達の距離が近くなりすぎているのだろう。
「もー、伊能! 明日一限あるだろ? どーすんだよ」
「う~ん、じゃあ起こして」
部屋のベッドに何とか伊能を放り投げた僕は、彼の自分勝手な要求に呆れた顔をせずにはいられなかった。明日僕は二限からなんだ。一限があるとわかってて飲み過ぎた自分の自業自得だろ。
「知らないよ。目覚ましだけかけてってやるから、勝手に起きな」
「えー、無理。絶対起きれない。北原ぁ、頼む~」
「駄ー目。僕は知らないからな」
僕は駄々をこねる伊能を振り切って、部屋を出ようとドアの方に向かった。
が、ふと振り返ると彼はもうベッドの中で寝息を立てていた。さっきまでのは何だったんだ。
僕は一つ溜息を吐くと、毛布を上にかけてやった。でも、明日の朝のことは本当に知らないからな。
自分の部屋に戻った僕は、何となく眠れずベッドの中で丸くなっていた。
明日は絶対、伊能の奴起きれないだろうな。やっぱり起こしてやろうかなあ。でも、人にもの頼んでおきなから寝ちゃうような奴だからな。
隣からは物音一つ聞こえてこない。やっぱりあのまま本当に寝てしまったようだ。
横になりながらそんな事を考えている内に、僕はふと、自分は彼のことを気に掛けすぎているんじゃないかと、そんな気がしてきた。
これまでは、伊能たち三人の距離はそれぞれ等間隔で、お互い近付きすぎず離れすぎず、一緒にいて気楽な友人関係だったと思う。でも、僕が入ったことによって、その間隔は大きく変わってしまった。それでも、あの二人とは良い友人関係であると思う。
じゃあ、僕と伊能は?
何もない暗い天井に、僕は問いかけた。僕の一方的な問いと、そんな疑問を持った自分に対する戸惑い。
暗い天井は僕の問いをただ受け止めるだけで、何も返ってはこなかった。
そして、アルコールの所為か急激な睡魔に襲われた僕は、心から沸いてきた疑問をもう一度問いただすことなく、深い眠りに就いてしまったのだった。