そんな年末

第一話


 佳輔は、どうと言うことの無い大学を出てどうと言うことの無い企業に就職したどうと言うことの無い会社員だった。同じように崇史も、どうと言うことの無い大学を出てどうと言うことの無い企業に就職したどうと言うことの無い会社員だった。
 世の中の大半を占めるであろうそのどうと言うことの無い会社員同士が初めて出会ったのは、仕事の関係でもなく縁故関係でもなく運命の悪戯でもなく、


 サウナだった。


 佳輔は結構サウナが好きだ。動きもしないのに汗が大量に出てくるあの灼熱地獄をひたすら我慢するというのも好きだったし、自分に声をかけて来る男をあしらうのはもっと好きだった。この日、崇史以外にも年上の男性に声をかけられていたのだが、その頃付き合っていた上司との関係がややこしくなって辟易していた佳輔は、特に悩みもせず崇史の誘いの方に乗ったのだった。
「バックは無しね」
「OK」
 その場限りのドライな関係はお互いの気持ちを垣間見ることも無く、ただ身体の相性がいいんだな、という程度の印象を残して、サウナでかいた汗のように流れて行った。



 身体のラインを何度も何度も確認するように手でなぞる。声を上げるまで、何度も何度も愛撫を繰り返す。しつこいセックスの手本のような上司との行為は、初めのうちはこういうのも悪くないなどと優に構えていたものの、最近では身体に負担を感じるようになっていた。
 上司は、佳輔のなめらかな肌と、受け入れることを躊躇わない、慣らされたアナルを特に愛でていた。だからといって毎回同じことをされても飽きるのだ。言葉責めのパターンも毎回同じ。
 元々上司には妻子もいたし、面倒臭がりの佳輔としてはこういう身の上の人間と深い関係になるつもりは無かったのだが、相手の金離れの良さと、社内での待遇がすこぶる良くなったこともあって、ずるずると関係を続けていた。
「今日は時計、付けていないんだね」
「あ、すいません、会社では付けていたんですけど」
 この前の誕生日に上司から贈られたロレックスのデイトナは、これまでの貢ぎ物の中でも最高額で、何かと身に付けているかどうか気にかけていた。まるでロレックスの手錠だ。普段からこんな高いものこれ見よがしに付けるわけにもいかないので、上司に会うとき以外はタンスの肥やしになっていた。そのうち質屋に売り飛ばそうと思っているのだが、こうも毎回訪ねられるとそれもできない。
「そうか。あれは君に本当に良く似合っているから」
「ありがとうございます」
 そう言えば、この前まで付き合っていた男からも腕時計を贈られた。時計をはめたくなるような手首でもしているのだろうか。
「今度のクリスマスは何が欲しいかね。何でも言ってごらん」
 まだ名残惜しそうに佳輔の身体を撫でている。佳輔としては、やることが終わったらさっさと着替えて帰りたいのだが、何せ相手は上司、その上散々貢がせているのでそうも行かない。
 と言っても、別に向こうが勝手に色々与えてくるのであって、そこまで義理立てすることも無いとも思う佳輔は、かったるいなーなどと思いながら適当に返事した。
「じゃあグッチのセロテープ」
「は?」
 身体を撫でていた上司の手が一瞬止まった。しかし、気を取り直すと、
「分かったよ。そんなものでいいのかい?」
 バーカそんなモンあるわけねーだろ、と心の中で舌を出しつつ、佳輔は上司の手を擦り抜けて着替え始めた。そう言えば、今着ているスーツも、上司の馴染みのテーラーに作らせたオーダーメイド物だった。クソ、全身こいつの貢ぎ物に身を包んでいる自分もどうかしている。
 それでも佳輔は乱れた髪を掻き分けながら、上司に向かって目を細めて「おやすみなさい」と頭を下げて部屋を後にした。上司はそれを名残惜しそうにうっとりと眺める。上司が一番愛でているのは、佳輔の鼻筋の通った顔だった。


 しかし、こういうのは長く続かないもので、上司の細君が浮気の匂いを嗅ぎ付け家庭内に不穏な空気が流れ始めると、次第にそれが日々の業務にも支障をきたして来たのだった。何と言っても、仕事中もずっとビクついていなければならないのが辛い。
 それでもなお関係を続けたがる上司に、佳輔はハッキリ言ってもううんざりしていた。こういうときに社内での関係というのは切るに切れなくて困る。新入社員の頃付き合っていた奴とは部署が違っていたからいいものの、この上司は出社すれば必ず顔を付き合わせる。かといって仕事人間の佳輔は会社を辞めるつもりもなく、いかに後腐れの無いように上手く手を切るか、悩みに悩んでいた。



 これと言ってどうと言うことも無い会社員の二人が再会したのは、仕事の関係且つ縁故関係による、よくあるものであった。飲み会の席で、同僚に学生時代の後輩だと言って紹介されたのが、崇史だったのだ。
 突然の再会に暫し呆然としていた二人だったが、先に正気に戻った崇史は、サウナで会ったときと変わらない上目遣いで「名栗さん、よろしく」と愛想を言い、佳輔はそれに軽く目を上げて答えた。
 このどうと言うことも無い再会に崇史は運命を感じ、そういうものに懐疑的な佳輔も割と運命を感じてしまったので、飲み会の後の二次会でいつの間にか二人が姿を消していたのは、ごく自然な成り行きだった。
「また会いたいって思ってたのが通じたんだよ」
 ホテルのバスタブに湯を張りながら、崇史は得意げにそう言った。別にそんなことは考えていなかった佳輔も「ああそうだね」と相槌を打った。崇史は何事も自分の都合のいいように考える才能がある。
「どっちが先に入る?」
「一緒に入ろうよ」
 そう言うと崇史は佳輔のYシャツを剥がしにかかった。特に抗う理由も無いので言う通りにする。崇史は持ち前の若さで、あっという間に服を脱ぐと勢いよくバスタブに身を沈めた。バシャバシャと湯を掛けられたかと思うと、ギュッと抱きついてくる。
「名栗さん、運命って信じる?」
「信じない」
 初めて会ったときはサウナで、今は風呂の中。そういうところに転がっているのが自分の運命なのかと思うと少しげんなりするが、
「そう言うと思った」
 唇を重ねれば、何処に転がっていようと結局同じことだった。



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