軟膏/竹槍と臍


 痛みの所為でこめかみが妙にひくつく。気を紛らわそうと背筋を伸ばしたら逆効果でかえって痛みが背筋を貫き、こめかみどころか眉や眉間辺りまでひくついてきた。
「よお、どうしたんその顔」
 やって来るなり同僚がオレの顔を見て、心配してと言うより呆れたように声を掛けた。これだけ辺り一面に湿布の匂いを撒き散らしていれば、嫌でも気になってしまうんだろう。
「百姓にやられたんだ」
 本当は顔より内臓のダメージの方が大きかったのだが、さすがに今それを言う訳にはいかない。一応客に顔を合わせる商売だから大事をとって一日病欠を取り、今日、顔の腫れが引いたのを見計らって、傷付いた身体に鞭打ちつつ何とか出勤したのだった。
「百姓?」
 阿呆かこいつ、という顔で聞き返してくる同僚に、オレは素っ気無く「ああそうだ」と答えた。
「何だ、百姓一揆か?」
「そうそう、年貢の取立てが厳しいって……」
 年貢なんて納めて貰った覚えは無いのだが、折角なら租庸調ぐらいキッチリ取り立てたいもんだ。
「だったら『たけやり』だよ」
「は?」
「だから、『いっき』は『たけやり』持つと弱くなるんだよ」
「竹槍?」
 今度はオレが聞き返す番だった。制服の帽子を被りながら首を傾げたオレを見て、同僚は手を振って「知らないならいいんだ」とやる気なさげに言う。
「だから何だよ」
「お前、昔やんなかったの?」
 百姓一揆をか? オレ別に百姓じゃないしな。
「稲刈りぐらいならしたことある」
「ああそう」
 全く会話が噛み合っていない。やがて今日の配達分の荷物がやってきたので、オレたちは噛み合わないまま会話を中断し、ワゴンに積まれた荷物をトラックまで運んで行った。
 よくよく自分の荷物を確認してみると、やけに細長い荷物がある。あいつの言っていた竹槍でも梱包したみたいだ。
 伝票に書いてある品名を見てみると、「物干し竿」と書いてあった。最近の物干し竿は伸縮性らしく、宅配も出来るらしい。何となく家で物干しに使ってるボロい竹竿を思い出した。
 積荷を荷台に放り込んで、トラックに乗り込む。座席に座ったらまだちょっとケツが痛かった。


 住所を確認すると、確かに目の前の五階建てマンションの五階だった。エレベーターの無い五階建てマンションなんて設計した奴を呪いたくなってくる。まあでも今日は物干し竿だけだ。やたら重い米とか電化製品とか家具とかじゃないだけ大分マシだ。
 だらだらと物干し竿片手に階段を上り、インターホンを鳴らす。階下では子供が何やらおもちゃを持って騒いでいる。うるさい。またインターホンを鳴らす。出てくる気配が無い。
 オレは仕方なく馴れた手つきで不在伝票を記入するとドアの隙間に挟み、階段を下りた。途中で騒いでいる子供の頭を物干し竿で小突いてしまったが知るもんか。



「で、これ持って何かあんの」
 竹竿を持って立ち尽くした奴が、無感動そうに訊いてきた。
「職場の同僚が……いや、何でも無い」
 自分は一体何をやってるんだ、と馬鹿馬鹿しくなったオレは、竹竿を取り戻そうと手を伸ばした。が、それを避けるように奴は向き直ると、オレをその竹竿で突っつき始めた。
「お、おい、やめろって」
 くそ、百姓は竹槍持ったら弱くなるとか鵜呑みにして、思わず試してしまったオレが馬鹿だった。それとも竹竿だから駄目なのか。先を尖らせりゃ竹竿だって竹槍になるぞ。でも、そんなことしたらもっと強くなりそうだ。第一、洗濯物が干せなくなる。
「いって! 馬鹿野郎、ケツを突っつくやつがあるか!」
「突っついて欲しそうだったからさ」
 また傷口が開いたらどうするんだ、もしそうなったら今度こそ絞め殺してやる。死体はどうしようか。バラすのは大変そうだし気持ち悪いからやっぱ重石付けて裏の川に……
「おい、飯食うの、食わないの?」
「あ、ああ……食う」
 自分の殺害方法を考えていたなんてつゆ知らず、奴はオレの部屋の散らかりまくった荷物を無理矢理端に寄せると、家から持ってきたおかずをちゃぶ台に広げた。
「この大根ンめーだろ? オレが作ったんだからな」
「はいはい」
「もっと噛み締めろっつーの! お高い無農薬野菜食ってるのに味分かってねーだろ」
 無農薬なのは自分の家の分だけのくせに……。
「オレ肉派なんだよね」
「おめーなあ、もっと食料生産者を崇めろよ。戦争にでもならねえと有り難みが分からねえんだろうなあ」
「じゃあ戦争になったらお前ン家に疎開さしてもらうから」
「こっから歩いて二十分じゃねーか」
 結局言わなかったが大根は確かに旨かった。まあ料理をしたこいつのおかんの腕なんだろうが。



 ついこの前オレが押し倒してしまったにも拘わらず、こいつは一向に気にする様子もなく「米持ってきたよー」なんつってまた上がり込んできた。今もくつろいだ格好でボーっとTVなんて見ている。実家暮らしなので色々と周りがうるさくて帰りたくないのかもしれないが、オレにとっちゃ正直いい迷惑だ。
「暑~っ、オレ飯食うとすげー暑くなるんだよね」
 そう言って奴はパタパタとTシャツの裾を扇った。
「食い過ぎなんだよ」
「出されたものは全部食べるのがオレの生き方なの」
 一方的な人生論を展開しながら、ヤツは本当に暑いのかまだパタパタとTシャツを扇いでいる。捲れたTシャツの裾からチラリと見える程よく筋肉の付いた腹筋と…………あ、ヤバイ。
「お、おい、何だよ」
 気が付いたら奴のTシャツを捲っていた。この前もそうだった、顔洗ってタオルが無いからと言って、Tシャツの裾で拭いて顕わになった奴の腹筋と……
「オレお前の出臍好きなの」
「やなこと言うな~」
 オレは多分臍フェチなんだと思う。どんな形がいいとかそういうのは長くなるので省くが、とにかくこいつの臍は堪らなかった。こいつの顔とかチンコがどうとかどうでもよくてとにかく臍が最高だった。
「あー、馬鹿、舐めるなよ、飯食ったばっかだろ。出るよ飯が」
 臍から脇腹にかけて舌を這わせる。体を捩って逃げようとするので足を押さえつけてやった。
「や、くすぐったいって、オレそこくすぐったいンだよ」
 それでも藻掻くのをやめない。舌で押さえつけながら吸い付くと嫌そうに足をばたつかせた。
「なあ、臍なんかよりチンコ舐めてくんない?」
 腹が立ったのでぶん殴ってやった。
「いいから舐めさせろよ出臍」
「あー、あのなあ、オレ気にしてんだからな、それ」
「オレは気に入ってる」
 ああそうかよ、と奴は不貞腐れながら捲られたTシャツの裾を下ろしてしまった。見えなくなっちまったじゃあねえか、臍が。
「あ、ヤらしてくれたらいいよ」
「オレのケツが腫れて死んだら傷害致死で逮捕されるぞ」
「じゃあ舐めっこしようか」
 うーん、それもなかなか捨てがたいな、と思いつつもオレはまだ臍が捨てきれなかった。
「出臍舐めさせてくれるならいいよ」
「お前なあ……」
「いいだろ出臍の一つや二つ」
 臍は譲れない。とにかく思う存分舐めたり弄り回したりしたいんだ。大してくすぐったくもないくせに勿体ぶってんじゃねーよ。と睨み付けていたらオレの思いが通じたのか、奴は不貞腐れながら横になるとTシャツの裾を少しだけ捲った。
「オレの臍は一つだ、馬鹿野郎」
 ヤベー、グッと来た。指でそっと撫でると、少し腹筋に力を入れてくすぐったいのを耐えているみたいで、膨れっ面をそっぽに向けた。
「それによォ、オレの臍は出てるんじゃねえ」
 正直、青痣だらけの顔で膨れっ面してるもんだから、臍以外は見れたもんじゃない。
「じゃあ何だよ」
「引っ込みがつかなくなったんだ」



2004年公開
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