軟膏


 軟膏がない。
 この突散らかった部屋の中を這いつくばりながら、オレはタンスの引き出しやら台所の戸棚やら、手当たり次第引っかき回して軟膏を探していた。ゴミ箱の中を漁ってみたがさすがにそこには入っていなかった。
「おい、オレの部屋あんま散らかすなよなあぁぁ」
 部屋の奥から呻き声が聞こえてきた。
「あのなあ、誰の為に探してやってると思ってンだよ」
「うるせえ、てめえ、ちゃんと片付けろよ!」
「やだね。この部屋汚過ぎだよ、これじゃあどこに何があるか分かんね」
 そう言いながらオレはCDが積んである山を崩し始めた。ガシャガシャと色とりどりのジャケットが無様に流れて、プラスティックの川を作っていった。でも軟膏は見当たらない。
「本当に軟膏なんてあんのかよ。気のせいじゃねえの」
「いや、絶対にある、去年火傷したときに使ったはずだ」
 去年かよ。溜息混じりに洗面台の裏を覗き込んだら、死んだゴキブリがいた。ゴキブリってのは仲間の死骸も食うはずだから、こりゃさっきまで生きてたやつかもしれない。本当汚ねー部屋だ。でもやっぱり軟膏は見当たらない。
「ねえよ。もう探し尽くした」
「絶対ある! オレはな、化膿するタチなんだ、膿んできたらてめえの所為だからな、もっと気合い入れて探せ!」
「オレだって腰抜けてんの我慢して必死扱いて探してやってんだよ!! 何だ畜生、その言い草はよ、ああ?」
 大声を出したら、切れてる口の中が余計裂けてきて泣きたくなるぐらい痛かった。口の中に血の味が滲む。
「そもそもてめえが下手だからこんなことになったんじゃあねーか、もっと努力しろ、この百姓ォ」
「先に押し倒してきたのはお前だろうが、誰が百姓だァ、この飛脚!」
「飛脚言うなボケ!」
 そう怒鳴ると奴は手元にあった座布団をかなりの勢いで投げてきた。上手いこと避けてやったら身体が側にあった棚に当たって、その上に置いてあった段ボールがオレの頭にぶち落ちてきた。
「あっ」
「何だ?」
 ぶち撒けられた段ボールの中身を掻き分けると、古い乾電池とか、ガムテープとか、靴下とか、古雑誌に混じって、何かそれっぽい色のものがある。
「マキロンだ」
 白地に青と緑と赤い丸。消毒液だ。
「お、おい、それ付けるわけじゃないよな?」
「付けないよりマシだろ? いいから尻出せよ」
「嫌だ! マキロン染みるだろ!」
「往生際悪ィな、化膿するんだったら付けた方がいいに決まってンだろ」
 仰向けに寝かせて、キャップを開け患部に向けて容器を押すと、フスンと情けない音がした。
「全然入ってねえ……」
「おい、ケツ出させてそれはねえだろ、絞り出せ」
「マキロンが絞れるかよ」
 何度押してみてもマキロンはフスンフスン泣くばかりで身が出てこない。
「あ、そうだ、傷には小便かけるといいって言わないか?」
「オレのケツにかけるのかよ」
「何かマニアックなプレイみたいだな」
 ニヤニヤしながらそう言うと、首を絞められた。
「ンなことされるぐらいならケツが腫れて死んだ方がマシだ、くそったれ!」
「そっちのが無様だと思うけどなあぁー」
 また振り出しに戻ってしまった。オレは再び軟膏を探し始める。


 オレが昨夜この部屋に来たときよりおそらく三倍は散らかってしまったであろうこの汚い部屋で、軟膏を探し出すのはまるで宝探しのようなものだった。天井から大量にぶら下がってる洗濯物が顔にびたびた当たってオレの苛立ちを更に煽る。畳の目が、散らかったゴミらしきもので殆ど見えなくなっていた。
 しかしオレは、数々の難関を乗り越えついに宝を発見した。それはTV台の裏に埃まみれになって転がっていた。
「オロナインだ!」
「マジか?!」
 白地に黄色、茶色い蓋、オロナインH軟膏の文字。Hって何だろう……。
「よし、尻出せよ」
 そう言って蓋を開ける。何か黄緑と言うか薄い黄土色をしていた。オロナインって白くなかったっけ?
「おい、それ、変色してないか?」
 奴がおそるおそる覗き込む。別に変な臭いとかはしないけどな。
「平気だよ、この汚ねえ部屋を這いつくばって探し回ったオレの努力を無にする気か」
「やめろよ! 余計悪化したらどうすんだよ、馬鹿、塗るな!」
 蹴りが鳩尾に浅く入ってきた。元々腰に力が入っていなかったオレは簡単にその場に崩れ落ちる。
「て、てめえ…、オロナイン変色させたのはお前だろうが……」
「だから、お前が考え無しに突っ込むからこうなったんだろうが、クソ、動くと痛えんだ」
 昨夜、何気なくこの部屋に来たオレは、いきなりこいつに押し倒された。初めはビックリして散々抵抗して半ば殴り合いになっていたのに、気が付いたらえらい良くなって来ちゃって、折角なのでお礼にオレも突っ込んでやったらこんなことになってしまった。入れるとなかなか抜けないもんで、と言うかイクまで抜きたくなかったから、ヤってる間に散々殴られてオレの顔は腫れ上がってしまった。
「お前、そこのコンビニまで買いに行って来いよ」
「このツラで外出られねえだろうが」
 口の中に加えてさっき蹴られた鳩尾の下の辺りもじんじんと痛くなってきた。上手く避けたつもりが避け切れなかったようだ。
「百姓のクセに外面なんか気にしてンじゃねえよ、オレだって顔、青痣になってんだぞ」
 確かに奴は酷いツラをしていた。オレは鏡を見るのが怖くてどんなツラをしてるのかは判らないが、口の中の腫れ具合からしておそらくそれ以上に酷いツラをしているに違いない。
「よし、買いに行ってやる」
「お?」
 よろよろとちゃぶ台に手を付きながら立ち上がる。オレだって腰に力が入らなくてボロボロなんだ。
「そん変わり、お前も一緒だ」
「ええ~」
 眉と口をこれでもかって位歪めて、酷いツラを更に醜くして嫌そうな声を上げる。昨夜こんな顔の奴とヤってたのか……。
「文句言うなら、これから救急車呼んでやっから、そのまま肛門科に直行だぞ」
「わーかったよ、行くよ。……その前に」
 よろよろと奴も立ち上がる。よくよく見てみると体中所々に痣や擦り傷がある。
「前に何だよ」
「パンツぐらい履こう」
 とりあえずオレ達はパンツを履くところから始めた。



「げっ」
 コンビニの売場の真ん中でオレ達は立ち尽くしていた。
「無いな……」
「絆創膏ならあるぞ」
「ふざんけんな」
 絆創膏や綿棒や冷えピタなんかはあるのに、肝心の薬っぽいものは全く置いて無かった。やっぱ薬事法かなんかでコンビニじゃ医薬品は置けないのか。
「この辺、薬局って無いのか」
「駅前にならある」
 こんな面で駅前なんて人通りの多いとこに行けるわけがない。このコンビニだってやっと辿り着いたのに、冗談じゃない。
「仕方ない、行くぞ」
「嫌だ」
 コンビニのガラスに映った自分たちのツラを見て、オレは何だか悲しくなってきた。まともな顔に生んでくれたはずの両親に申し訳ない気分になる。
「オレだって歩くのやっとなんだぞ!」
「この酷えツラで駅前なんて行けるかよ!」
「元の顔と大して変わんねえよ!」
 怒鳴り合っていたら店員のお姉ちゃんに睨まれたので、オレ達は身を小さくしてその場をすごすごと退散した。


 何とか駅前のドラッグストアに辿り着くと、オレ達は脇目も振らず目的の軟膏をさっさとお買い上げした。オレ達のツラを見た店員に湿布も勧められ、それも購入した。
「オレこんなにガニ股で歩いたの初めてだよ」
 早く歩こうとすると股関節が痛むので、どうしてもガニ股になってしまう。オレが足早に商店街を出ようとすると、奴が顔を歪めて立ち止まった。
「おい、どした?」
「そんな早く歩くな、痛くて歩けねえんだよ」
「早く軟膏塗った方がいいんだろ? ちったあ我慢しろよ」
 ここから奴の部屋まで十分近くかかる。化膿するなら早く塗った方がいい。オレも湿布貼らないと更に顔が腫れ上がっちまう。第一こんなツラなので早く帰りたいんだ。
「擦れると痛えんだよ、余計炎症が酷くなる」
「そんな酷いのか?」
 こんな道の真ん中で覗き込む訳にもいかないし、とオレは辺りを見回すと、その辺の狭い路地に奴を引っ張って行った。
「おい、何すんだよ」
「軟膏塗るんだよ」
 パッケージから軟膏を取り出し、蓋を開ける。今度はちゃんと白い色をしていた。
「尻出せよ」
「ふざけんな!」
 そう怒鳴ると同時に奴が殴りかかってきたが、身体がふらついていたので今度は上手く避けられた。足元にあったペットボトルを蹴飛ばしたらしく、ポコンと軽快な音をさせて路地の奥に跳ねて行った。
「痛いんだったら早く塗った方がいいじゃん」
「こんなとこでか!?」
「こんな面で外歩いてンだから、今更遠慮するこたあねえだろ」
 ジーンズのジッパーを下ろし、ケツを剥いてやる。右側にある赤紫の痣は、確か昨夜オレが蹴飛ばしたんだった。
「馬鹿、脱がし過ぎだ! 痛え、もっとそっと触れって……」
 軟膏を患部に塗布してやる。凄く熱を持っていて腫れ上がっていた。中の方にまで指を入れていくと、うう、と奴が呻いた。
「何? 感じてんの?」
「ンな訳ねえだろ、痛えんだよ、……うーっ」
 肩に食い込むほど爪を立てられた。こっちだって痛いんだ。また軟膏を掬い取って更に指を奥に進めると、奴は僅かに身体をビクつかせた。
「やっぱ感じてんじゃん、少し硬くなってきた」
「く……っ、チンコ触るんじゃねえこの百姓!」
 そう怒鳴ったかと思うと、奴は顎を引掴んで無理矢理オレの口の中に舌を入れてきた。熱くて柔らかい舌が無茶苦茶に口の中を這い回る。
「い、痛い痛い痛い、染みる、やめろ!!」
 涙が出てきた。ついでに涎も出てきた。口中に口内炎があって、それが引き裂かれてレモン汁に漬け込まれたみたいだ。
「口ン中にも軟膏塗ってやろうか」
「お前のケツだけで充分だ」
 そう毒突くと、また口の中を舌が這い回る。悔しいのでオレも指で尻の中を掻き回してやる。痛みで二人して呻き声を上げる。
「今度ヤるときは軟膏塗ってからやろう」
「軟膏塗らずに済むようにヤろうって思わねえの」
「思わない」



2003年公開
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