理由・秋

第一話


 色付き始めた欅並木と少し冷えた風が心地よく、俺はパワーウィンドウを全開にしてアクセルを踏み出した。
「伊能、急発進はやめろ」
「うっさいなーもう」
 こんな田舎道、ちんたら走ってられるわけないだろ。
「もうちょっとセンターラインに寄れって、溝に落ちる」
「判ってるってば」
 自分は若葉マーク取れたからって、北原は自分のスピード狂を棚に上げて横でぐちゃぐちゃとうるさい。車に乗るとハンドル握って無くても性格変わっちゃうんだな、こいつ。
「今度そこ左だろ。早くウィンカー出せよ」
「あーもううっさい!」
 俺がキレそうになってそう叫んだと同時に、何かパーンと弾ける音がして、ガラガラともの凄い音が辺りに響き渡った。



 免許を取ってしばらくしてから、俺は父親から廃車寸前のこの車を譲り受け、早速北原とドライブに行く予定を立てた。
 なんせ大学のすぐ近くに住んでいるもんだから、こういう予定でも立てない限り車に乗る機会なんて無いからだ。
 北原も何だかんだ言って運転したがりなので、行きはオレが、帰りは北原が運転することになった。
「にしてもボロいな~。なんかこの車、東南アジアで走ってそうだよな」
「文句言うなら乗んなくていいぞ」
「そういうわけじゃないけどさ。走るの?」
「走るに決まってんだろ!」
 実家からこれに乗って帰ってきたんだぞ。見た目はボロいし燃費も食うが、馬力は結構あるんだ。
「走ってる途中で故障とかしないよね?」
「平気だっつーの! 賭けてもいいぞ」
「本当に?」
 北原にしては珍しく、悪戯っぽい笑みを浮かべて、俺は不覚にもそれにドキッとしてしまう。
「世界が誇る日本車だぞ、そうそう故障してたまるかよ」
「でもこんだけボロいとなー」
 そう言いながら北原は「何を賭ける?」と俺の肩に腕をかけた。北原の息が俺の頬にかかる。
「何がいいかなあ?」
 もう故障するつもりでいるのかこの野郎、と言おうと思っても、近付き過ぎた北原の悪戯っぽい笑みに俺はすっかり心を奪われていて、気が付いたときには唇も奪われていた。



 田舎の道路に響き渡る酷い金属音。俺達は思わず辺りを見回した。
 広がる畑、所々に見える雑木林、すぐ向こうには山の裾野が広がっていて、この長閑な風景に対してあまりに不釣合いな金属音に、俺は顔をしかめた。同じように北原も顔をしかめている。
「これって……うちの車かな」
「他に走ってる車がどこにあるよ」
 このガラガラという物凄い音、結婚式で、新郎新婦が乗った車に空き缶を大量に付けて走るやつに似ているよな、と俺がどうでもいいことを言うと、だったら勝手に結婚でもしてろ、と北原は冷たい。
「止まった方がいいんじゃない?」
「やっぱり?」
 道路脇に車を寄せ完全にストップすると、ようやくあの金属音も止んだ。どう考えてもうちの車だ。
「あー、何かぶら下ってる」
「どこ?」
 先に車を降りた北原がしゃがんで車体の下を覗き込んでいる。俺もエンジンを止めて同じように覗き込むと、確かに何かがぶら下っていた。
「マフラーが外れたんじゃないか?」
 非難がましい目を俺の方に向けてから、北原はもう一度車体の下を覗き込んだ。やっぱり壊れやがったとか思ってるんだろ、クソ。
「とにかく、ずっとこのままで居るわけにはいかないし……。JAF呼ぶ?」
「近くにガソリンスタンドでもあればな……、あ、おじさん」
 猫車を転がしている農作業帰りらしきおじさんの姿を認め、俺はそちらの方に駆けて行った。
「この辺にガソリンスタンドってあります?」
 そのおじさんはしばらく考え込んだ後、俺に茄子をくれた。
「いや、だからガソリンスタンド……」
「そこの、県道を入ったところにあんべ」
 何だ知ってるんじゃあねえか、と突っ込むのをぐっと堪えて、おじさん茄子ありがとうとお礼を言うと、おじさんは満足そうに笑って猫車を転がして行ってしまった。
「うまそうな茄子だね」
「何でくれたんだろう…」
「茄子欲しそうな顔してたんだよ」
 どういう顔だよ、と俺がふてくされると、そういう顔だよ、と頬っぺたを軽くつねられた。
「北原が声かけても茄子だったよきっと」
「いや、僕だったら柿が貰えたかもよ」
「渋柿か」
 今度は脇腹をつねられた。本気で痛かった。


 ガラガラガラガラと酷い音をさせながら、俺達は何とかおじさんに教えて貰ったガソリンスタンドに辿り付いた。「県道を入ったところ」なんて言っていたけど、実際は「入ってしばらく行ったところ」に有ったので、その間北原はあまりの恥ずかしさに座席の下でうずくまっていた。この裏切り者……。
「あー、こりゃマフラーの溶接が錆びとんねえ」
 ガソリンスタンドのおじさんが車体の下に潜り込みながら声を上げた。ほれ見ろと北原が得意そうに俺の顔を見返す。
「最近の車はこんな風に錆びたりしねぇんだけんどもね」
 そんなに古いのかこの車……。俺は決まりが悪くなって、先にさっさとガソリンスタンドの店内に入って行ってしまった。北原もあの表情のまま俺の後に続く。だからそんな目で見るなっての。
「そんでな、はぁマフラー自体取り替えたほうがいーんだけんども……」
「えっ。それってどれぐらいかかります?」
「そんだねえ……半日は見てもらわねぇと。部品とか取り替えなきゃいけねぇから」
 半日って、それじゃあ今日のドライブは丸潰れじゃないか。というか帰れるのかどうかも怪しい。いや、それより問題は、時間より金がいくらかかかるかだ。
「あのう、修理代は……」
「んー、そうさな、大体見積もって三、四万てとこかい」
「えーっ!?」
 俺と北原が同時に声を上げたもんだから、おじさんはビビって椅子ごと身体を引いた。
「でんも、応急処置だけでも何とか持つんじゃあねぇかね。外れた溶接部分を繋げるだけだぃねど」
「じゃ、じゃあそれで……」
「そいでも、帰ったらちゃんとマフラー取り替えなきゃ駄目だぃね。でなきゃあ廃車だ」
「はあ……」
 それって帰るだけでいっぱいいっぱいってことだよな。俺は思わずがっくりと項垂れた。そんな俺の肩に、北原がぽんと手を置く。
「いいじゃん、修理が終わるまでこの辺ブラブラしてよう」
 北原って、車から降りれば本当いい奴だなあ。俺が感激して抱きついたら蹴っ飛ばされたけど。



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