? 理由 || 反作用 ||

理由

第二話


「えっ。お前、俺と同い年なの?」
 サークルが終わって、皆で行きつけの定食屋に向かう道すがら、伊能は驚きの声を上げた。
「うん、一浪したから……」
「ふうん。まあ、でも一浪ぐらいならうちの大学、結構多いぜ。高橋なんか二浪だし」
 伊能はそう言うと、あの、僕を強引に勧誘しようとした体育会系の男を示した。
 彼は高橋と言って、伊能と同じ工学部の二年だった。もう一人ちょっと背が低めで痩せ気味の小西という奴と、伊能を含めてこの三人でよく連んでいることが多かった。
「あ〜何だって??」
「お前プロテイン飲み過ぎって言ってたんだよ」
 高橋が振り返ると、伊能は何を思ったか全然違うことを答えた。茶化すにも程があるだろうと僕は思ったが、高橋の方は別段気にしていない様子だった。
「そうだ、北原、お前もプロテイン飲め。面白いように筋肉付くぞ」
 突然話を振られ、僕は何を言っていいか困った。すると高橋の隣にいた小西がツッコミを入れる。
「おいおい、お前みたいに脳まで筋肉になったらどーすんだよ」
「どうせ役に立たない脳ミソだったら筋肉になった方がマシだね」
「お前なあ、自分で自分の脳ミソ役に立たないって言うなよ。馬鹿だなあ」
 この三人は端から見ていても仲が良かった。
 小西がよく喋るせいか会話が途切れることはないし、高橋は体育会系でノリがよく、伊能はちょっと抜けてて話をずらし、そんな感じでお互いを茶化しながらもどこか尊重し合ってるような所があって、見かけに寄らず大人な友人関係だな、と思った。僕はその中に突然入ってきたことになる。
「でも常に鍛えていないと太るぞ、プロテインは」
 伊能がそう言うと、小西がこちらを向いて僕の肩を叩いた。
「北原は少し太った方が良いよ。それに色白すぎるし」
「そう言う小西さんこそ太った方がいいですよ。それに僕、実家の方ではそんなに色白な方じゃないですよ」
 小西は同い年なのだが、学年は上なので敬語を使うようにしていた。実質的に年上の高橋に対しては特に何とも思わないのに、やはりこういうことを気にする自分がちょっと嫌だった。
 伊能は最初から「呼び捨てでいいよ」と言ってくれたからこんな風に考えたことはなかったけれど、彼はきっと人の年齢や敬語など気にしないだろう。
「え、お前より白いのがいるのか」
 伊能はそう言うと僕をまじまじと見つめた。その視線に僕は時々妙に困惑してしまう。伊能は目元がキリッとしていて意志が強そうな印象を与えるから、何か気後れしてしまうのだ。性格はちょっと抜けてる奴なのに。
「実家、雪国なんだ。こっち来るまで自分が色白だなんて考えたこともないよ」
「へえ。お前より白いのがいっぱい居るのか……ちょっと怖いな」
「何だよ、怖いってのは」
 僕がちょっと怒ったような顔をすると、彼は逆に屈託無く笑う。
「そうそう、お前もうちょっと表情あった方がいいよ。いつもつまんなそうな顔してるもんな」
 ……僕はこれでも表情があるつもりなんだけど。伊能にまでそんな風に思われてるのはちょっとショックだ。
「北原って、何となく雪女みたいだなって思ってたんだけど、雪国出身か。成る程ね。あ、男だから雪男か」
「おい、雪男だと毛むくじゃらの方だぞ」
 高橋の言葉に、小西のツッコミはまるで待っていたかのように素早い。
 お陰で僕は彼らの会話に入るのがいまひとつ遅れがちだ。雪男はいくらなんでもあんまりだって言おうと思ったのに。そのうち慣れるだろうか。
 そんな感じでだらだら喋っているうちに、このサークル行きつけの定食屋に着いた。


 学生街の定食屋は、普通の店の三・四倍の量が出てくるらしい。僕は何も知らず注文したら、どんぶりに山盛りのご飯が出てきて面食らってしまった。
「あの……僕、大盛りは頼んでないんだけど」
「それが普通だよ。普通の茶碗だと小ライスで頼むんだ」
 おかずの量も半端ではなく、僕は途方に暮れてしまった。でもサークル仲間のほとんどはそれを頼んでいたし、伊能も当たり前のようにどんぶり飯を抱えて食べている。僕は仕方なく、そのどんぶり飯と格闘することにした。

 やっと僕のどんぶり飯が半分ぐらいになった頃、もうすでに食べ終わった小西が口を開いた。
「そうそう、新歓の日、決まったぞ。二十五日の六時から、駅前のマラドーナ地獄ね」
 彼は僕より小柄で痩せているのに、あのどんぶり飯と更に大盛りのキャベツ辛子を平らげていた。いわゆる痩せの大食いという奴のようだ。
「おい、マラドーナ地獄かよ! 女の子逃げちゃうんじゃねーか?」
 他のサークル仲間が不満の声を上げた。女の子が逃げたくなるような飲み屋なのか? 僕は伊能にそれを訊ねた。
「あれ、北原まだ行ったことなかったっけ?」
「うん」
 僕が頷くと、横から高橋がそれに答えた。
「その店、店長がマラドーナファンなんだ。開店したときマラドーナがヤク中でボロボロだったから『マラドーナ地獄』って名前にしたんだとよ」
 なんか無茶苦茶だなあ。その横では小西が他のサークル仲間とゴチャゴチャ言い争っている。
「お前ら、サッカー好きならマラドーナ地獄だろ! 不満なヤツは帰ってよし!」
「サッカーよりも女子マネージャーだ!」
「うちは合コンサークルじゃねーんだぞオイ」
 この論争は暫く続きそうだ。今、このサークルには女子マネージャーが三人しかいない上、全員彼氏持ちだからみんな必死なのだ。
「そこ、よく行くの?」
「うん。俺達の時の新歓もそこだったんだ。ちょっと狭いけど、オモロい店だよ」
 良い店、じゃなくて面白い店ね。伊能が面白いって言うんだから、やっぱ変な店なんだろうなあ。
 上級生達はサークルの伝統としてこの飲み屋での新歓を推しているが、女子マネージャーにこだわる連中は納得できないようである。
「北原も今度行こうぜ。あ、でも新歓で行くか」
「小西の頑張り次第だな。まあ、あいつの口なら何とかなるだろ」
 伊能と高橋は、他人事のように小西の奮闘を見守っていた。もうちょっと助けてやればいいのに。でも二人の予想通り、小西は半ば逆ギレしながらも他のサークル仲間の説得に成功し、その店での新歓が決定したのだった。



 思ったよりも、普通の店だった。
 手書きの看板を見たときは正直ヤバイと思ったが、中に入ってみると、普通のサッカーファンがやっている店、という感じだった。
 サークルの新歓でやって来たこの店は、確かにみんなが言う通り女の子が入りにくそうな感じではあったけど、意外に小綺麗にしているし、選手のサイン入りユニフォームやサインボールが並べられ、壁には沢山のチームの旗や選手のポスターが貼られていて、なかなか良い感じの店だった。
 店の隅のTVではサッカーの試合の衛星放送が流れ、みんな思わず食い入るようにそれを観ている。店内では大音声でサルサが流れ、ユニフォームやポスターのメンツを見る限り、ここのオーナーは南米贔屓のようだった。そういえばこの店の名前もマラドーナだし。
「結構普通の良い店じゃん」
 僕が伊能にそう言うと、伊能もうん、と答える。
「ほら、見ろよ、ロベルト・カルロスのサイン入りユニフォームがあるんだ」
 伊能が指し示した先に、カナリヤ色のユニフォームが飾ってあった。僕はロベルト・カルロスの大ファンだったから、思わずそれに見入ってしまった。でも本人のサインなんて見たことないから、本物かどうかはよくわからない。
「これ、本物? レプリカ??」
「さあね。本物とか大事なモンは実は隠してあるって噂だけど」
 店内はさすがに狭く、全員席に着くとほぼこのサークルで貸し切り状態になった。僕の隣には高橋が座り、伊能は向かいのテーブルの隅に座っている。幹事の小西は忙しそうに狭い店内を行き来していた。他のサークル仲間はと言うと、新しく入った女の子達の近くをキープしようと小競り合いをしている。僕も何となく、サークルで適当に新しい彼女でも見つけて、なんて思っていたけど、この競争率ではそれもままならなそうだ。
「やあ、いらっしゃい」
 小西が乾杯の音頭を摂ろうと立ち上がったところに、この店の店長がやって来た。僕はここで初めて、何故みんなが女の子が逃げちゃうかも、と言っていたのかがわかった。
「オイーっす」
「店長、お世話になりますっ」
 サークル仲間達が口々に店長に挨拶する。その挨拶に店長は満面の笑みで応える。思わず引いてしまう程の濃ゆい笑顔だった。
「あ、あの……。店長って、何人?」
 僕は思わず隣の高橋に小声で訊いた。
「多分日本人だと思うけど……」
 高橋にも自信が無いらしい。喋り方を聞いていて発音におかしいところはないけど、あの顔は明らかに日本人離れしている。それにやたら人なつっこくて、店員の女の子に仕事を押しつけサークルの連中と肩を組んで酒を飲んでる。
 これじゃあ女の子は逃げたくもなるだろう。縱にも横にも大きいし、ハーフか何かだろうか。
 僕は伊能にも店長について訊こうと思って、そちらの方に顔を向けた。が、伊能の席は離れていて、他の連中と話をしている。しかも、ボーっとしているくせに隣にはしっかりと新しく入った女の子が座っていた。
「どーした、北原、怖い顔して」
 僕の顔を覗き込んで、高橋が酒臭い息を吐きながら言ってきた。
「えっ……。高橋さんの方が怖い顔してますよ」
 もう出来上がってしまったのか、高橋の顔は真っ赤だ。いや、それよりも、怖い顔してるなんて指摘されたのに動揺してしまった。僕はそんな表情しているつもりはないのに。
「ほれ、北原、そんなしけた面してねーで、グイッと行け、グイッと」
 そう言って高橋が勧めてきたのは、小さいグラスに入ったテキーラだった。南米趣向だからこの店はテキーラが出てくるのか。高橋があっと言う間に顔が真っ赤になって出来上がってしまった訳がわかった。
 だからって僕はこんな強い酒は飲めない。このサークルはあのビール一気飲みの強要が無くてホッとしていたばかりなのに、冗談じゃない。
 と思っていたのだけど、こちらの方には見向きもせず他の連中と楽しく談笑している伊能を見ると、何だか苛立たしくなり、目の前に出されたテキーラを思わず一気に呷ってしまった。咽が灼けるような感覚の後、胃がカーッと熱くなる。僕は頭がグラグラと揺れる感覚に何とか耐えて、テーブルに手を付いて身体を支えた。
「おお、北原すげえ! キてるねえ」
 何とか顔を上げると、向かいのテーブルで女の子と話をしている伊能が見えた。僕の頭は更にグラつく。自分だけ取り残されたような、何とも言えない慘めな気分に僕は戸惑った。
 高橋の誉め言葉も、周りで沸き上がった歓声も、頭にガンガンと響いてくるだけでただもう鬱陶しいだけだった。



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