理由・秋

第二話


 ブラブラしようにも、この辺りは本当に何にも無いところだった。いや、何にも無いと言うのは正確ではない。田んぼと畑の間に所々立っている民家、土手の下に流れる岩の多い川、他より少し標高が高いせいだろうか、田んぼと畑に不釣合いな程整備されたアスファルトの道路の遥か先には、少し開けた感じの町が広がって見えた。
「本当、何にも無いな……」
「うん……」
 俺達は途方に暮れて、しばらく田んぼをジーっと眺めていた。刈り入れ寸前の稲穂が風に揺れて、金色の波を作っている。
「どうしようか……」
 金色の波の向こうには、小高い山の裾野が赤やら黄色やらに色付きながら広がっていた。俺は雑木林の紅葉が珍しくて、思わずそっちの方に吸い寄せられる。
「山登ろうよ」
「ええっ?」
 こいつ馬鹿か、という顔をして北原が俺の顔を覗き込む。
「だって、折角来たんだし」
「登るって、あれ?」
「そうだよ」
 北原は途方に暮れた顔で山を見上げた。大して標高も無い、木ばかりで埋め尽くされた山だ。
「あ、あのな、何が楽しくて登山なんて……」
「ほら、紅葉が綺麗じゃん。あんなにたくさん凄い」
「伊能は都会育ちのハマっ子だから、ああいうの珍しいのかもしれないけど……」
「都会ったって、俺ん家団地だよ」
 昔、こういうところで遊びたいって憧れてた。木登りしようにもどれに登ろうか迷うくらいたくさんの木々。整備された公園には木登りできる木が一本しかなくて、みんなで登ると木が軋んで可哀相だった。



 雑木林の周囲を少し歩いていると、細い登山道らしき道が見えてきた。歩くとガサガサとうるさいぐらいの落ち葉で埋まっていて、俺はわざと音をさせながら歩いて行った。時々靴の中に落ち葉の欠片が入ってきて痛い。
「ねえ、北原ん家もこんぐらい田舎?」
 振り返って見た北原の顔は、紅葉した木々から差し込む秋の日差しに少し色付いているように見えて、木の葉の影が模様のようにそれを象っていた。
「……もっと田舎」
 紅葉の景色の一部になっている北原は、つまらなそうに吐き捨てる。
「凄いな」
 北原には、こういう木とか、草とか、日差しとか、そういうのが似合うと思った。その中に居ると、触れちゃいけないんじゃないかと思うくらい溶け込んでいるように見える。俺はいつも北原に見とれてるけど、今日はいつもより一層見とれていた。きっと、雪はもっと似合うんだろうなどと考える。
「伊能、見なよ、町が全部見えるよ」
 俺が見とれているうちに、もう頂上に着いてしまったようだった。一応展望台らしきものがあり、落ちないように柵で囲ってあった。
「あれ、俺達が居たガソリンスタンドかなあ」
「多分違う」
 景色に溶け込んでいても北原は素っ気無い。俺は全部溶けてしまわないように北原の腕を掴む。掴まりながらついでに靴の中に入った枯葉を掻き出していると、太い枝がたくさん出た大きな木が目に入った。
「あれ! あれ登ろう」
「ええ~? 今度は木登り??」
 北原はまた途方に暮れた顔をして俺を見返す。
「あのブナの木?」
「うん」
 蔓が絡み付いてて登り易そうだし、ここより高いから景色はもっとよく見えるはずだ。
「伊能だけ行って来なよ、僕はここで見てるから……」
「何言ってんだよ、北原も登るの!」
「えー」
 嫌がる北原を、無理矢理引っ張ってブナの木の下まで連れて行った。 その間何度も抵抗されたが、腕を掴んでしまえばこっちのもんだ。


 いざ登ってみると、北原はするすると枝を伝って行き、俺は追い付くだけでも精一杯だった。ひょっとしたら踏んでる場数が全然違うのかもしれない……。
「伊能、遅い」
「うー」
 あっという間に上まで登って行った北原は、丁度具合よく水平に伸びている枝に器用に飛び移って、そこに腰掛けた。俺も何とか追い付いて、隣に座る。上手くバランスの取れない俺を見て、北原は苦笑しながら支えてくれた。俺達が動くたびに木が揺れて、ガサガサと枯葉が落ちていく。


 上まで登ったからといって、景色がよく見えるわけではなかった。木々の枝の間から見えることは見えるが、俺は落ちないようにしがみ付いているだけで精一杯だった。
「まったくもう、無理するから」
 そう言って北原は片腕で俺を支えながら、俺の額を指で小突いた。今日はやること為すこと裏目に出っ放しだ。悔しい。
「北原こそ、嫌がってた割に張り切って登ってったくせに」
「なっ……」
 俺は北原をからかうのが好きだ。こんな風に、白かった北原の頬に赤味が差して、少し潤んだ目で睨まれると堪らない気持ちになる。
「そんなこと言うと、手離すよ」
「あーっ、駄目駄目」
 振り解こうとした北原の腕に慌ててしがみ付く。北原の頬はまだ赤味が差したままで、木の上に居る所為か余計に周りの枝や木の葉に溶けてしまいそうな気がして、俺は腕を引き寄せてギュッと抱きついた。
「ちょっ、伊能、危ない」
 北原の肩に顔を埋める。鼻を擦り寄せると、北原の匂いはもう周りに溶け込んでしまっていた。そのまま肩から首筋を唇で辿り、顎を通って唇に吸い付く。
「ん、……」
 北原の唇は、触れると始め少しひやっとする。でもすぐに凄く熱くなって、触れる度にクラクラするようになる。唇を離すと、頬に赤味が差したままの北原にじっと睨まれた。少し潤んだ目に、やっぱり俺は堪らない気持ちになる。
「……落ちたらどうすんだよ」
「きっとしばらく助けてもらえないね」
 一応登山道なんてあるものの人通りなんてほとんど無さそうだし、第一、道を外れて木登りなんてしてるので、二人して動けなくなったら発見は困難に違いない。
「嬉しそうに言うことか、この……!」
「あ、危な、い、……あっ」
 押し退けられそうになってバランスを崩してしまった俺を支えようと、北原に胸を掴まれて思わず変な声を上げてしまった。擦られた乳首が北原の指に触れて、そこばかり気になってしまう。
「北原そこ、くすぐった、い……」
「くすぐったいの?」
「ちょっと、あ、……っ」
 まだ北原はそこから手を離してくれない。俺は思わず身体をビクつかせた。何か力が抜けてしまいそうな、変な感じ。
「は、離せってば、くすぐったいから……」
「本当にくすぐったいだけ?」
 北原が悪戯っぽい笑みを浮かべる。駄目だ、やっぱりドキッとしてしまう。シャツ越しに触れてくる北原の指にばかり気が行ってしまう。
「ほ、本当だって、……っ」
「くすぐったいだけでこんなになっちゃうかな」
「北原やめ……、お、落ちる」
 バランスを崩しそうになった俺を足で器用に支えて、今度は軽く爪を立てられた。
「あぁ……っ、や、やめ、やめろってば」
 木の上だっていうのに腰に力が入らなくなってしまって、縋るように北原のシャツを引っ張った。そしてまた目に飛び込んでくる北原の悪戯っぽい笑み。ひんやりとした唇を押し当てられ、俺はクラクラし過ぎて舌が絡まる頃には前後不覚になっていた。
「伊能がこんなところ弱いなんて知らなかった」
 耳元で囁かれる北原の息がとても熱い。
「くすぐったいだけだってば……」
「強情だなー伊能は」
 落ちないように北原にしがみ付くのが精一杯で、抗うことすら出来ない。
 シャツの中にまで入ってきた北原の指が胸元を這うたびに身体が疼いて、北原の悪戯っぽい笑みに腰砕けになり、俺は、このままぶち落ちたらやっぱしばらく発見されない方がいいかも、と思った。



 何とか無事木から落ちることも無く、俺たちは夕暮れの田舎道をとぼとぼと、車の修理を頼んだガソリンスタンドに向かって歩いていた。店内に入ると、そのまま逃げちゃったんじゃないかと心配してた様子のおじさんが出迎えてくれた。修理はとっくに終わっていたようだった。
「本当に、応急処置だけだぃね、帰ったらちゃんと修理するだよ」
「は、はい」
 外れた箇所を溶接し直しただけで、修理代もそんなに取られることはなかった。それにしてもこのボロ車は、これからも色々と修理代が嵩みそうで今から頭が痛い。

 帰り際、このガソリンスタンドのおじさんには世話になったので、俺はお礼に茄子をあげた。
「よかったらどうぞ」
 始め何のこっちゃと目を丸くしていたおじさんだったが、丸々とした茄子を見て「ありがとう」と嬉しそうに受け取ってくれた。


 アスファルトの整備された田舎道を猛スピードで走るボロ車に乗りながら、俺はいつまたマフラーが外れるんじゃないかと冷や冷やしていた。いくらすいてるからって満身創痍の車でこんなにスピード出すことないだろう、と言いかけただけでギロリと睨まれる。何でこいつは車に乗るとこんなに性格変わっちゃうんだろう……。
「伊能、賭けしたの覚えてる?」
「え?」
 殆どブレーキも踏まずカーブを曲がるのを見て、俺は車が壊れるのが先か、事故死するのが先か、祈りたい気分になった。
「出掛ける前。したよね?」
「そんなのしたっけ?」
 俺としては、車が壊れるのが先か事故を起こすのが先かで賭けたいところだ。
「伊能っていっつもそうだ、自分の都合のいいことしか覚えていないんだから」
 非難がましい目を俺に向ける。そんなことより、頼むから前向いて運転してくれ。
「ま、ちゃんと約束は果たしてもらうから。何だったら今ここでやってもいいけど、どうする?」
 どうするって、何なんだよおい。俺は意味も無くシートベルトをギュッと握った。ヤバイ、北原が悪戯っぽい笑みを浮かべて、俺はまたそれに不覚にもドキッとしてしまう。



2003年公開
TOP