そんな月末
第二話
崇史が何が何でも佳輔の家に来たがったのは、都心の一等地にある佳輔のマンションの方が崇史の会社に近いからだ。歩いて約二十五分。徒歩にしては結構距離はあるが、今月の定期代すら無い崇史にとって、これ程恰好の仮の宿は無いという訳だ。
だがそれ以上に、平日も佳輔と一緒に居られる、当然ベッドも一緒、というのが寂しがり屋の崇史にとって何と言っても最高だった。『口で御奉仕』の顎の疲れを差し引いてもいいくらいだ。
「俺もうずっとここに住みたい」
「絶対駄目」
崇史が来てから一週間。たったそれだけで部屋の中は異様に散らかっていた。
スナック菓子の入っていた袋だとか、飲みかけのペットボトルだとか、脱ぎ捨てた靴下だとか、崇史は散らかす才能はあるが片付ける才能は全く無い。その上、着道楽の癖に部屋にいるときの服装はどうしようもないくらいだらしなく、今着ている黒いネル地のシャツは猫の毛だらけで元々そういう柄だったのかと思うほどだ。
「そんなあ、『絶対』まで付けることないじゃん~」
「じゃあ、くいだおれ人形が本当に食い倒れるまで駄目」
そう言って佳輔は、崇史に渡した合い鍵のキーホルダーに付いてるくいだおれ人形を放り投げた。
「うっ、佳輔の意地悪……」
佳輔にもらった部屋の合い鍵にくいだおれ人形のキーホルダーを付けたとき、こんなデカイもん付ける奴があるかと散々馬鹿にされた。くいだおれ人形以外にも、ウルトラマンとかうさぎのしっぽとかバカボンのパパとか色々付いてるのだが、他のが霞むくらいくいだおれ人形は大きかった。落としたとき分かり易くていいじゃないか、と崇史は思うのだが、それを言ったら佳輔はきっと「俺は落とさない」と言うだろう。
「どこが意地悪だ。そういうことは部屋を片付けてから言え」
どうせ言ったって出来やしないんだ、と佳輔は半ば諦めたように部屋を見渡した。
片付けられない奴ってのは脳の構造上の問題か中枢神経機能の障害だかで出来ないってのを聞いたことがある。崇史はきっとそれなんだ。
他人の物を片付けるなんてまっぴら御免、な自己中で面倒臭がりの佳輔は、どんどん散らかっていく崇史の荷物を足で除けるだけだった。
「そうだ、お前、一緒に住むならちゃんとお前のモンも片付けてくれる奴にしろ」
「えっ……」
相変わらず思いやりなんてこれっぽっちもない佳輔の言葉に、崇史が一瞬絶句する。
これってつまり同棲するなら他の奴にしろってことだよな、と暫く考え込んだ後、崇史はゆっくり口を開いた。
「今日会社でさ~、メシ買う金無くてお昼にお茶ガバガバ飲んでたらさあ~」
何だ突然、と佳輔が崇史の方に振り返る。崇史はベッドの上で、家から持ってきたお気に入りの蕎麦殻入り枕を抱きかかえて寄り掛かっていた。
「事務のおねーちゃんがさあ、『よかったら今度、お弁当作ってきてあげようか?』だってよ!! も、これってフォーリンラブ間近って感じじゃん?」
反応はあった。表情は冷静そのものだったが、読んでいた新聞の端ををクシャッと握り締めている。佳輔に女の話は禁物なのだ。
佳輔が崇史に今ひとつ素っ気ないのは、構ってくれれば男でも女でも来るもの拒まず、だからだ。
元々嗜好のベクトルが男にしか向かわない佳輔は、そういう男は結局女に行く、というのを身を以て感じており、安易に関係を深めたりはせず石橋を叩いて渡ることにしていた。勿論、その石橋を叩き壊したことだって何度もある。新入社員だった頃付き合ってたあいつには、もう二歳になる子供が居るとか聞いたな……とか、否が応にも思い出が甦ってくるのだ。
「勝手にフォーリンラブでもホールインワンでもしてろ」
「本当に、ホールインワン…じゃあなくって、フォーリンラブしちゃっていいの?」
蕎麦殻枕を抱きしめたまま、上目遣いで崇史が訊ねる。初めて会ったときも、上目遣いの甘ったれた表情で、じっと佳輔を見つめていた。
「……崇史」
「俺は佳輔とフォーリンラブしたいのにいぃ!」
そう叫ぶと崇史は、抱えていた蕎麦殻枕を佳輔の顔面に投げつけた。蕎麦殻枕は普通の枕より随分重い。いきなり枕を叩き付けられた佳輔は、ソファーからずるっと落ちてしまった。
「いって……、崇史お前、言葉の意味判ってないだろ……」
「へ?」
今度はキョトンとした崇史の顔に、思いっ切り蕎麦殻枕が叩き付けられた。
「お前とはもうしてるだろうが、この馬鹿!」
軽い脳震盪を起こしそうになった崇史は、そのままベットにぶっ倒れた。何とか顔面に乗ってる枕を退けると、目の前に佳輔の顔があって、その険しい表情にゾクッとする。尤も、佳輔はしょっちゅう険しい表情をしているので、崇史はゾクゾクしてるかビクビクしてるかそのどちらかだった。
「今、何て言……ん、んんっ」
最後まで言い終わらない内に、唇を塞がれていた。勢いで歯が当たり、ちょっと痺れる。拒否する理由もないので崇史は自分から舌を絡めた。崇史の辿々しいキスの仕方と違って、佳輔の舌は滑るように熱い口の中を這う。その舌使いに崇史がぼうっと仕始めた頃、いつの間にか猫の毛だらけのネル地のシャツがはだけて胸元が露わになっていた。
「佳輔どう……」
「お前、ちゃんと言葉の意味を把握してから喋れ」
そう言うと、勢いよくジャージのズボンを下着ごと膝まで降ろされた。たとえ部屋着とはいえ、こんなだっさい格好を平気でする崇史の神経が佳輔には到底理解できないのだが、脱がせ易いので今回は良しとする。
「あ……っ、け、佳輔、ちょっ、そこは……」
「お前の分もここ使ってやるって猫に誓ったんだろ」
当の猫はベッドの下で丸くなって寝ているはずだった。
「そういう使い方じゃな……あ、あ……」
佳輔の手はどんどん奥に滑り込んでくる。軽く手で転がされたり、指で筋を辿られたりすると、こそばゆくてもぞもぞしてしまう。でも、そのこそばゆさも段々甘い疼きに変わっていく。
「ふ、……ぁ……っ」
「お前結構ここ弱いんだな」
「俺、何処でも弱いよ、佳輔に触られた、ら……あ、ん」
更に奥の筋を指で押されて、触れられてもいない腰が溶けそうな感覚に、崇史が喉を鳴らして仰け反る。
「あ、でも握られたりとかは駄目……」
「握ってやろうか」
「だ、駄目だってば、チ○コ縮んじゃうよ~」
慌てて腰を引いた崇史は、佳輔の服を脱がしにかかる。
崇史は佳輔の服を脱がすのが好きだ。肌に手を這わせながら、布を剥がすように脱がせる。露わになった肌に舌を這わせる。少し汗ばんだ肌と肌はお互い吸い付くようになり、その匂いに興奮する。
すっかり裸になった二人はベッドに潜り込んだ。ピッタリと肌を密着させると、心地よさだけで溜息が出る。佳輔の弱い胸元に舌を這わせてまた抱き付く。
「えっ、佳輔、明日仕事あるんだけど……」
「今更痛いから駄目、とかそんな訳無いよな」
佳輔の器用な指が、ローションを掬いながら崇史のアナルを解し始める。その淫らしい音に、さすがの崇史も顔を赤らめる。
「そだけど、でも、……あ、あっ」
自分は翌日仕事の日は絶対やらせないクセに、と口を尖らせようとした崇史は、微妙なところを弄られて思わず佳輔の肩にしがみついた。
佳輔は舌も、指も、とても滑らかに動く。その動きにはいつも翻弄されてしまう。本当はこっちが翻弄させたいのだけど、今日は何故か駄目だ。崇史はいつもより早く登り詰めてしまいそうで、深く息を吸った。
「俺はお前みたいに滅茶苦茶に腰使ったりしないから」
「で、でも……ふ、あぁ……っ」
シーツに爪を立てて仰け反り、体中で佳輔を感じる。それにしても今日はあまりに高ぶるのが早い。
「ん……っ、やっぱ、崇史ここ弱いんだな」
「そ、そこ触っちゃや、だ……ぁっ」
軽く爪を立てられ、いつにない甘い痛みと疼きが指先から爪先まで走る。
「あと、フォーリンラブってのは、もうセックスしちまった人間には使わないんだからな」
「う、うん、判……っ、あー……っ」
耳元に掛かる息さえゾクッとして、崇史はまた身体を仰け反らせた。
「あ、でも身体から始まる関係ってのもアリか」
俺達はどっちだったっけ。もうどっちもしちゃったからどうでもいいか。それよりもう駄目だ、目の前がチカチカしてきた。佳輔、もっと顔見せて……。
何処か遠くの方で、猫があまり可愛くない声でうーうー鳴いているのが聞こえた。
いつもの喫茶店で二人は待ち合わせをする。今日は珍しく早く残業を切り上げて佳輔がやって来た。注文するのはいつも通りブレンドコーヒー。今度こそは当たりになってほしいものだと、崇史はミルクをたくさん入れて、佳輔は粗目の砂糖をティースプーン摺り切り一杯入れて飲む。
「給料出たのか」
「うん、やっと定期買えたよ~」
そりゃ良かった、と佳輔はコーヒーを口に運んだ。これで崇史が自分の家に戻ってくれる。つまり部屋の片付けが出来る。
「もう無茶な買い物なんかするなよ。今に自己破産するぞ」
「えー、大丈夫だよ~」
崇史が駅前のケーキ屋で買ってきたショートケーキを取り出した。二人とも甘い物はあまり好きじゃないから一片だけだ。
この喫茶店は、老婆のマスターが年を取り過ぎてロクに食品管理が出来ないので、その代わりに外から持ち込んでもいいことになっている。どうせ馴染みの客しか来ないから問題無いのだろう。
「あ、ロウソク無いなあ。おばーさん、ロウソクとライターある??」
「あいよ」
老婆のマスターがカウンターの下の方からごそごそと取り出したのは、仏壇に供えるような白くて長いロウソクだった。
「おい、これ……」
「ま、一本しかないけどぶっといからOKっしょ」
ショートケーキにロウソクをズボッと刺して火を付けた。そうすると何だかこのショートケーキが呪われているように見えて、佳輔はちょっとげんなりしながらそれを吹き消した。
「佳輔、誕生日おめでとうー!」
崇史が手を叩いた。それに合わせて老婆のマスターも手を叩く。
「……ありがとう」
照れくさそうに軽く頭を下げた。でもこの呪いのショートケーキは食べたくない。
「あとね、佳輔これ、プレゼント」
「えっ?」
今月生活するのもままならなかった奴が、どこからどうやって誕生日プレゼントなんて用意したんだ? と佳輔は訝しんで崇史の顔を見返した。崇史は余裕そうに微笑んでいる。
「いいから、開けてみてって」
崇史から渡されたのは、細長い包み。そろそろと開けてみると、中に入っていたのは腕時計だった。
「お、おい、崇史これ……」
「佳輔これ欲しいって言ってたでしょ?」
「で、でも……」
佳輔が前から欲しいと言っていたもの。それはカルティエの腕時計だった。絶対手に入らないだろうと思って欲しい欲しい言っていたのだが、崇史はすっかり本気にしていたようだった。
「早く、はめてみてってば」
「うん……」
タンクフランセーズの堅実で完成されたデザインのスクエアの文字盤が、佳輔の骨っぽい腕によく栄えている。今まで付けていた同じステンレス製の腕時計より重い気がしてしまうからおかしなものだ。
「えへへ、よく似合ってる」
佳輔の腕を自分の方に引き寄せて、崇史は満足そうに微笑んだ。場所が場所じゃなかったらこのまま押し倒してしまいたい。勿論、服は脱がせても腕時計は外さない。
「ひょっとしてお前、コンポなんて買ってないんじゃあ……」
「うん、だって俺あんま音楽聴かないもん」
店内の趣味の悪い音楽が耳に付く。こんな音楽の流れる店に長いこといるんだから、本当は自分も音楽なんてどうでもいいのかもしれない。佳輔は引き寄せられた腕で、そのまま崇史の頬をそっと触れる。
「やっぱ俺って尽くすタイプでしょ?」
頬に触れた佳輔の手を口元に持っていって、崇史があの上目遣いで見つめ返す。佳輔は、本当はカルティエよりもちゃんと片付けの出来るお前が欲しいんだ、と言おうとしたが、絶対無理だと思ったので止めておいた。
ちなみにそのカルティエが、中国製のニセ物だということに二人が気付くのは、暫く後のことである。