フレームの曲がり方

最終話


「つっ、冷てっ!!」
 オレはガバッと起きあがった。首筋に何か冷たい物が乗せられてて、体中に鳥肌が立って思わず仰け反る。
「おはようございます、先輩」
「て、てめえ、取れよコレ!」
 西澤がオレの首から取った物は、濡れたタオルだった。
「ふ、普通に起こせよ、馬鹿野郎……」
「だって何回声かけても起きなかったんですよ」
 だからってもうちょっとマシな方法があるだろうが。信じられん事しやがる。
 暫くニヤニヤ笑ってる西澤を睨み付けていたが、ふと、肩に西澤のアーミージャケットが掛けられているのに気が付いた。
「……オレ、どんぐらい寝てたんだ?」
「一時間半ぐらいですよ。起こすの可哀想だったんですけど、ここまで来て論文仕上がらなかったら、オレの責任になっちゃいますからね」
 こいつ、意味分かって言ってんのか。確かにお前のせいだとは言ったけどよ。
 オレは眼鏡を取って、目を擦った。眼鏡掛けたまま寝ちまったんだ。変な寝方をしたせいか身体が妙に痛いし、何だかまだ頭がボーっとしてる。オレはふらふらと立ち上がると「顔洗ってくる」と言い残して、トイレに向かった。
 鏡を見ると、何とも酷い顔がそこにあった。口元に涎の垂らした跡があって、オレは慌ててそれを擦った。もう今更遅いが……。眼鏡をしたまま寝たので、鼻筋にフレームの跡が付いているし、顔色も悪いし、ああもう本当に酷い。
 オレはバシャバシャと乱暴に顔を洗った。
 一時間半ぐらい寝てたって言ってたな。何とかギリギリ間に合いそうだ。やる気になれば三十分もかからない。その後に見直しとプリントアウト、製本……と、まだたくさんやることはあるのだが。
 タオルで顔を拭きながらオレは、ここまで西澤に手伝わせてしまって申し訳ない、という気がしてきた。そりゃ本人からの申し出だし、修論締め切り前だというのに西澤が突然あんな事言い出すから……というのもあるが、だからってここまでやってもらうのは悪い気がする。だってこれはオレの修論だ。自分のことは自分でやるもんだ。
 かといって突っぱねるのは、気が引けた。オレはあいつに甘えてるのか? 眠りに落ちる寸前の、頭を撫でていた西澤の手を思い出した。心地良いと思ってしまった、大きくて冷たい手。
「ああ、くそ!」
 ダメだ、余計なこと考えてる暇はないんだ。オレはもう一度顔を洗って頬をベチベチ叩いた。泊まり用に置いてある歯ブラシで歯を磨く。少しは気合いが入ったような……気がする。


 研究室に戻ると、西澤に誤字脱字なんかの見直しを頼んで、オレは結論を急いで仕上げた。元々何を書くかは決まっていたので、あっと言う間に終わった。
 すぐにプリントアウトをし始めたのだが、運の悪いことに、この前の卒研の締め切りの時にモノクロレーザーがブッ壊れたので、遅いインクジェットプリンタで印刷する羽目になってしまった。インクが切れないよう祈るしかない。ガシャンガシャン凄い音でのろのろプリントしている。
「あ~、終わった」
 オレは長椅子に仰向けで寝転がった。寝転がると、突然の脱力感に襲われる。
「お疲れさまです」
 西澤はそう言いながら、オレが寝転がった長椅子の端に座った。
「……西澤」
「何ですか?」
「あ……その、あ、ありがとな、手伝ってくれて」
 ボソボソと消えそうな声で呟いた。だって、改めて礼を言うなんて照れくさいし。でもここまでやってもらって言わないわけにはいかないだろう。
「そんな、オレ別に大したコトしてないすよ。頑張ったのは先輩ですから」
「でも……お前がいなかったら、終わらなかったような気が……するし」
 相変わらずオレはボソボソと呟いていた。疲れ切って声が出ないんだよ……と自分に言い訳しながら。やっと終わった安心感と疲労で、何だか身体が沈み込んでいきそうな感覚に襲われる。
「先輩」
「ああ、そうだ」
 何か言おうとした西澤を遮る形になって、オレは続けた。何か照れくさかったし。
「引っ越しの準備で色々いらないもん出てきたんだよ。セガサターンいるか?」
「い、いりませんよそんなもん」
「じゃあ、高分子機能材料・全九巻も付けてやるよ」
「だからいりませんって」
 何だよ、やるって言ってんだからもらっとけよ。いらなかったら売ればいいだろ。……って、今セガサターンって金になるのか知らないけど。
 ああ、何だか喋るのも億劫になってきた。頭は徹夜続きのせいか妙にハッキリしているのに、身体がどうしようもない程疲れ切っていた。このまま長椅子に沈み込んでしまいそうだ。ボーっと天井と見つめていると、突然視界に西澤が現れた。
「じゃ、先輩をくださいよ」
「…………あ?」
 オレが間抜けな声を上げたと同時に、西澤はオレの上にのしかかり、いきなり唇を塞いだ。しかもこの前みたいに触れるだけではなくて、間抜けに開いた俺の口に舌を滑り込ませてきた。
「……んっ、んん……っ」
 顎を手で押さえられ、口を閉じることができない。容赦なく舌を絡ませられて、息をするのも忘れそうになる。唇を奪われたと言うより舌を奪われてしまったみたいだ。
 暫く硬直していたオレだったが、ハッと気が付いて、西澤の肩を必死に腕で押しのけようとした。だが全然動かない。今度は身をよじる。これはさすがに少し動いたが、体力がないのですぐ疲れてまた元に戻されてしまう。そのうち腕を上げているのも疲れてきてしまって、情けなくだらりと下ろしてしまった。ああ、徹夜続きでこんなに体力を消耗していなければ、こんな無様なことにはならなかったのに。
 すると、西澤が唇を離して顔を上げた。じっとこっちを見つめてくる。少し目が潤んでいて、その真剣な表情にハッと息を飲む。オレは何とか呼吸を整えたが、口の中にまだ西澤の舌の感触が生々しく残っていた。
「てめ、西澤……」
「すいません、先輩……でも、オレもう限界なんです」
 西澤はそう言うと、オレのシャツを捲り、手を滑り込ませてきた。首筋に顔を埋め、舌を段々下に這わせてくる。脇腹の辺りをさすられ、オレは思わず仰け反った。そこは滅茶苦茶弱いんだ。というか皮膚の薄そうな所は全部苦手だ。西澤はそれを察したのか、そういう所ばかり手や舌を這わせてくる。西澤の手は冷たいのに、唇や舌は凄く熱くて、オレはそれに散々翻弄された。
 今度は、またキスをされたかと思うと、下の方でカチャカチャと金属的な音がした。ジーンズのチャックを下ろされている……。オレは血の気がサーッと引いた。
「待て、てめ、やめろっ」
 オレは足を蹴り上げて、必死に抵抗した。だってキスされてちょっと身体をまさぐられたぐらいでこんなになってるなんて、とてもじゃないが見られたくない。いや、違う、そういう以前の問題だ。
「馬鹿野郎、離せっ、くそ」
 初めのうちは足を蹴り上げる抵抗も何とか成功していたが、すぐにゼイゼイ言いだして疲れてきた。
 そう言えば今日は山際さんからもらったカロリーメイト以外、殆どろくな物を口にしていない。これだけじゃ体力維持できないと言った西澤の言葉を思い出す。言うこと聞いときゃ良かった。でも今この危機を作ってるのは西澤本人だし、何だかもう滅茶苦茶だ。
「西澤、頼むからやめ……あっ」
「やめませんよ」
 オレの懇願も虚しく、ジーンズを下着ごとあっと言う間に下ろされた。足の間に身体を入れられているので、足を閉じることさえ出来ない。
「ああ……っ」
 既に熱くなってるそこを、強く握られた。恥ずかしさと快感で思わず手で顔を覆う。でもその手も西澤に掴まれ退かされた。
「先輩の顔……もっと見たいんです」
「や……やだっ」
 西澤の手で急速に追い立てられ、オレはもう一杯一杯だった。こんなに疲れてるのに何で……。先走りが手に絡みつくほどに溢れ、まるでオレの感じるところを知っているかのように手がそこを這う。西澤の舌が首筋や耳の後ろを辿り、熱い息遣いが耳元に迫ってきてゾクッとする。
「……あっ、あっ、……ん……っ」
 もうダメだった。あまりの急速な快感に、オレは思わず西澤の腕にすがりつく。そんなオレを見て西澤は、優しく頭を撫でて額にキスをした。馬鹿、そんな風に優しくなんかするな、余計に自分が訳分かんなくなっちまう。イったら何もかもお終いなような気がして、必死に我慢しているのに、イきたくてしょうがない。
「……く、ぅ……ああっ」
 オレは我慢の甲斐なくあっと言う間に西澤の手の中でイってしまった。物凄い脱力感と、こんな風にイかされてしまった恥ずかしさで、何だかもう情けなくて泣きたくなってきた。
 オレがぐったりして肩でゼイゼイ息をしていると、西澤が「大丈夫ですか?」と声をかけてきた。
「………オレもう死にそうだ」
 大丈夫な訳ねえだろ。何考えてんだ。西澤はぐったりしているオレの肩を抱き上げて、額や頬に唇を寄せた。くすぐったいからやめてくれ……。

「……え?」
 肩を抱かれたままなのでよくは見えないが、西澤の手が、オレの露わになった下半身の更に奥の方に進んできた。オレは再び血の気がサーッと引くのを感じた。
「マジか、お前、ちょっと、そんなとこ触んなっ」
 さっきオレが吐き出した物を受け止めた手で、自分でも触ったことがないようなところを弄られる。ヌルッとした感触に、身体が思わずビクついた。大丈夫ですかって聞いときながら、こんなことする奴があるか。オレはまた足を振り上げ逃れようとしたが、さっきよりも強く長椅子に押さえつけられる。
「あっ……」
 指が中にまで入ってきた。呼吸をする度に何とも言えない異物感が下半身を支配して、オレは身を固くした。
 後ろを掻き回しながら、西澤は唇を鎖骨から胸元を辿らせ、オレの弱い皮膚の薄そうな所を執拗に舐めて、身体の力を抜けさせようとする。すると、さっきイったばかりなのにもう下半身に熱が集まりはじめてきた。徹夜続きで疲れてるはずなのに。確かに最近忙しくてこういう事はしていなかったけど、いくらなんでもあんまりだ。でも、どんなに抗っても西澤の手はそこから離してくれない。
 突然指を抜かれ、その刺激にオレは身体を仰け反らせた。そのまま足を開かされる。
「なっ!?」
 いつの間にか西澤は腰を進めてきていた。余りのことにオレは混乱して足をバタつかせたが、何の効果もなかった。
「や、やだっ、西澤っ」
 オレは子供みたいに頭を振って、身体をよじる。しかし、腰をしっかり掴まれ、腕で押しのけようとしても逆に掴まってるみたいになってしまう。
 すると西澤はオレの首筋に顔を埋め、耳の後ろを舐めて耳朶を甘噛みした。耳にかかる西澤の吐息が、物凄く熱い。
「先輩……好きです」
 鳩尾の辺りが、ゾクッとした。今まで感じたこともないような、感覚。
「好きです、先輩……」
 狡い、卑怯だ。ヒンヤリとした西澤の声が凄く熱っぽくて、こんな風に耳元で囁かれたら、それだけで感じてしまうに決まってるじゃないか。オレは腰が疼くのをもう止められなかった。気が付いたら、西澤の肩にしっかり掴まっていた。
「…………っ!」
 しかし、信じられない容量のものが中に侵入してきて、オレは悲鳴も上げられないほど仰け反った。強引に腰を進められ、痛みと快感と羞恥でぐちゃぐちゃになっていく。耳元で囁かれる西澤のヒンヤリしていて熱を帯びた声と、何処かでプリンターがガシャンガシャン鳴っているのが遠くに聞こえるのを感じながら、オレはいつの間にか意識を手放していた。



 修論の公聴会が無事終わり、翌日研究室で飲み会が開かれた。他の研究室ではスノボに行くところもあるらしいが、うちはそういう面倒なことは仕切り屋がいないのでやらない。
 あまり行く気がなかったのだが、柳木が「来ないと殺す」と言うのでしぶしぶやって来た。まあ確かに女一人だから居辛いのは判るが、何でオレまで巻き込まれなきゃいけないんだ。
 場所は駅前のよくあるチェーン店の居酒屋で、テーブルを一つ貸し切ってささやかに行われた。
 オレは山際さんと色々と世間話をしたり、今度行く会社の事を話したりしていた。スブタ……じゃなくて須田教授はもう既に出来上がっていて、顔を真っ赤にして大笑いしながら、白髪混じりの鬱陶しそうな天然パーマの髪をグシャグシャと掻いていた。横では仁科が何か話しかけている。どうせ何かおべっかでも使ってるんだろ。
 すると、今まで西澤の横にいた柳木がオレの隣に無理矢理座ってきた。西澤はテーブルの向かいの端にいて、オレの方を横目で見ながらビールを飲んでいる。何かやな予感。
「ちょっと! 聞いたわよ! あんた付き合ってるコいるんだって?」
 オレは今にも飲んでるビールを吹き出しそうになった。物凄い勢いで西澤の方を睨み付ける。奴は頭を抱え込んだままこっちを見ようとしない。
「な、何言ってんだよ」
 まさか、西澤の奴、話ちまったんじゃないだろうな……。オレは酒を飲んでいるというのに冷や汗が出てきた。
「怪しいと思ってたのよ。眼鏡突然変えたし。で、うちのガッコの子?」
 眼鏡は関係ないんだが……。幸い詳しい話までは聞いていないようで、内心かなりホッとした。しかし、柳木にこの手の話題で掴まったら、一巻の終わりだった。
「う、うん…」
「同い年? 年下? 年上……じゃあないよね」
「と、年下……」
 オレはもう一度西澤の方を睨み付けた。奴は申し訳なさそうに手を前に合わせている。一体どういった経緯で柳木にこの話題を振ったんだか。後で追求して半殺しにしてやる……。
「やったじゃない!」
 柳木はそう言うと、オレの背中をドンと叩いた。思わず前に倒れそうになる。
「私とお揃いだね。お互い仕事と恋愛で頑張りましょ」
 何だよ、お揃いって。ああ、そう言えばこいつ年下の彼氏がいるとか何とか言ってたっけ。
 柳木はいつの間にかビールのジョッキを手元に引き寄せオレの前に置くと、ビールをなみなみと注いでいった。
「あんた奥手だから私心配してたのよ。まあ、詳しい話は後でゲロしてもらうからね」
 柳木は恐ろしい程爽やかな微笑みを浮かべながら、今度は自分のジョッキにビールを注ぐ。後が怖い……怖すぎる。
「そう言うことで。乾杯しましょ、乾杯」
「あ、ああ……」
 オレはもう、観念した。蛇に睨まれた蛙だ。絶対誰だかゲロするまで追求するに決まってる。柳木は嬉しそうにずいっとビールジョッキを目の前に突き出した。
「じゃ、二人の前途を祝して、かんぱ~い!」
「か、乾杯……」
 オレはヤケクソになって、ビールジョッキを一気に呷った。



2002年公開
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