中身のない瓶詰め
最終話
仕事帰り、駅までの道はそこそこ賑やかな歓楽街を通る。賑やかと言っても、会社帰りのサラリーマンでごった返しているだけの色気のない街だ。長谷部はその大通りから逸れて脇の道に入ろうとした時、後ろからポン、と肩を叩かれた。
振り返ると懐かしい、いや、憎らしい顔があった。三村だった。
ヤツに会ったらまず、一番最初に殴り飛ばしてやろう、と固く決意していた長谷部だったが、こうも唐突だとそうはいかなかった。
「よお、久しぶりだな!」
三村は何の悩みもないような、あか抜けた笑顔を長谷部に向けた。少し日に焼けて、そして少し痩せたようだった。スーツをだらしなく着崩していたが、髪はきっちり短く整えられていた。流行のブランドの香水の匂いが妙に爽やかで、何だか可笑しかった。
「お前……日本に、いたのか」
長谷部は三村のわざとらしい笑顔を目の当たりにしてもなお、目の前の事が信じられなかった。
何でこいつがこんなところに? 居なくなって三年以上経つが、こんなに早く再会するなんて……しかもこんな偶然に。一生会わなくても別にいい、とまで思っていたのに。
「いや、一昨日着いたばっかりなんだけどよ」
と、三村は自分の近況を少し話した。向こうでもなかなか阿漕な商売をしている様子だったが、結構上手くいっているようだった。そして、立ち話も何だから、とどこかの店に入ることになった。
「今日は俺の奢りな」
「珍しく、気前が良いな」
長谷部が滅多に入らないような、小洒落たバーだった。店内の照明は暗く、テーブルには装飾された小さな白熱灯が置いてあった。
「ガストからレベルアップしたろ?」
「随分なレベルアップだな……ゾーマでも倒したか?」
「あはは、俺、ドラクエ3クリアしてねー」
などと暫く他愛のない会話をしていたが、酒が進み、自然と会話はあの時のことになっていった。
そして、長谷部はついに会社で脅されている話を切り出した。
「……本当なのか、その話……」
さすがの三村も、これにはショックを隠せなかったようだった。
「お前のせいで、お前のせいでオレの人生ブチ壊しだよ……最悪だ、本当に最悪だ。もう、オレ、お前のこと、一生恨むからな……」
三村にこの話をするにあたって、もっと激昂するかと思っていたが、ただ気分が沈むだけで、怒る気にもならなかった。ただ淡々と、話した。多分、一番この話を聞いてもらいたかったのが三村だったんだろう。
一通り話し終わった後、長谷部は煙草に火を付け、一つ溜息をついた。人目がなかったら泣き出していそうな気がした。その様子を三村は眼を細めて見ていた。
「お前に恨まれるなら、本望だな」
「……は?」
こんな話をした後だというのに、三村は穏やかに笑っていた。
「あン時、あの話を切り出したのはさ……。何か理由付けて、お前とヤりたかったからなんだよね」
それで金が儲かったら一石二鳥だろ? と、嫌味なくらいの笑顔で三村は言ったのだった。
オレ、何してんだろ……。
三村に抱かれながら、長谷部は自分の主体性の無さをただ呆れていた。
あれから、さも当たり前のように三村の宿泊しているホテルに誘われ、こういう事になった。
三村は長谷部のくたびれた安物のスーツを一通りけなした後、一つ一つ丁寧に脱がしていった。愛撫も勿論、とても丁寧だった。でもこれは『丁寧』であって『優しく』ではない。三村のやることに感情がこもっていることなど無いからだ。
それがわかっているのに、長谷部はどうしようもなく感じていた。昔、自分を抱いたときと同じように、同じところを愛撫してくる。まるで昔を懐かしむように。一度しか、しかもあんな形でしか寝たことがないのに、あの時の感触がまざまざと甦ってくる。
「……何かここ、入れやすくなってる」
長谷部の後ろを指で解しながら、三村が無感動そうに言った。
「……普通、指摘するか? そんな事」
長谷部は喘ぎながらも、体を起こして三村を睨み付けた。
「いや……月日が経つのは早いな、と思って」
「バカか、お前…………あっ」
クチュ、と淫らしい音をたて、前立腺を刺激してきた。堪らず声を上げた長谷部に、三村は丁寧に、キスをした。よく考えたら、三村とキスをするのはこれが初めてかもしれない。三村の唇は薄かったが、舌は厚くて口中を犯されているような気がした。口を塞がれ声が出せない長谷部は、三村の脱ぎかけのシャツを引きちぎらんばかりに引っ張った。それを見ると三村は更に指の動きを激しくした。
「入れて、いい?」
キスしていた唇を離して、耳元で三村が訊ねた。心なしか彼の顔も上気しているようだった。
「……前はそんなこと訊かずに、いきなり入れたじゃねーか」
「今日は訊きたくなったんだよ」
「ダメだっつっても入れるくせに……」
「嫌だったら入れないぜ」
三村の意外な答えに、長谷部は思わずきょとん、とした。おおよそらしくない台詞だった。そして、こいつのことだから何か裏があるんじゃないかと勘ぐった。
「その代わり、変なコトするんじゃないだろうな……」
「はは、疑い深いな、お前も」
そう言うと、三村は入れている指の本数を増やして、激しい指使いからやんわりとしたものに変えた。逃げ腰になっている長谷部を、もう片方の腕でガッシリと掴むと耳朶を甘噛みし、首筋を丁寧に舐める。
こうやって焦らされているのが、一番辛い。ああきっと、こいつはオレに「入れて」って言わせたいんだな、とぼんやりしながらも思った。そしてどんなに抵抗しようとも、結局は三村の思惑通りになるのだった。
「へえ、お前も会ったんだ」
駅前のさびれた喫茶店で、コーヒーをすすりながら山口が無感動そうにいった。
「何だ。お前もヤツと会ったのか」
たまった煙草の灰を灰皿に落としながら、長谷部もコーヒーをすすった。
「ああ、俺ン家に突然やってきてさ……。お前は?」
「オレは街で偶然会った」
「そりゃすごいな」
「つうかさ、電話とか連絡入れるよな……普通」
「あいつはオカしいからな、頭とか、色々」
山口は、すすっていたコーヒーが無くなったので、お冷やの氷をガリガリと噛み始めた。
「で、お前はどうしたんだ? 会社。辞めたのか?」
「……それが、さ」
三村と会った日から数日後、さすがに今週中に辞表を出さないとまずいと思い、スーツの内ポケットに辞表を忍ばせて部長室に向かった長谷部は、突然の人事異動の発表を聞かされた。
「シンガポール支部だってさ」
「お前が??」
「いや、違う。あのクソ上司が、だよ」
支部長になるんだから、左遷ではなく一応栄転らしい。でも何故シンガポールなのか。
「そう言えばさ、三村のヤツもあの辺で事業してなかったっけか?」
「あいつがやってんのは怪しげなベンチャーだろ?」
「良く言えば青年実業家だ」
「……」
何だか山口には気に召さないらしい。不満気に氷をガリガリと噛んでいる。
「いつも、そうなんだ……」
お冷やの氷を全部食べ尽くし、山口は呟くように言った。
「何が?」
「お前、三村のこと好きなんだろ?」
「はあ??」
長谷部は何こいつアホなこと抜かしているんだろう、と思ったが、山口の顔は真剣そのものだった。
「いつも、そうなんだ。あいつばかり、良いところ持っていって……。あの時も、俺がお前のこと好きなの知ってて、あの話を持っていったんだ。今度のことも、横からかっさらうようにお前を助けていったんだ……何もできない俺を嘲笑うように」
煙草の灰が落ちるのをどこかで感じながら、長谷部はただ呆然としていた。
山口が自分のことを好きだったというのも知らなかったし、三村がそんなことをしているのも知らなかった。長年連んできた仲だというのに、まるで気付かなかった。
いつも三村と山口を、鈍感で無神経で、自己中心的な人間だと思ってきたが、向こうが相手の気持ちを考えずに行動しているように、自分もそうだったのだ。でもこんな事、気付きたくもなかった。そう思うと、急に腹立たしくなってくる。
「……別に、三村のことなんか好きじゃねーよ」
好きなわけがない、あんな人でなし。こいつもだ。勝手にオレが三村のことを好きだと決めつけてる。でも結局オレもこいつらと同じなんだ……自分のことしか考えてなくて、それが当たり前だと思っている。
そして長谷部は、吸っていた煙草を揉み消し、吐き捨てるように言った。
「……大嫌いだ。お前も、三村も」